京阪神で、通える範囲の詩の教室は、ほぼ行きました。
特に、某女子大での教室は、何となく人間関係ができてしまって、もう死ぬまで行かざるを得なくなってしまっています。
というのも、同じ受講生に自分が属する兵庫県現代詩協会の方も多くいて、
お二人の先生に詩を習うのはもちろん、さまざまな詩の関係の会合や行事を案内してくれる案内所(?)的な役割を感じています。
年、3期ある期の終わりには、短い飲み会もあって、確実に仲良くなったり、〈詩界〉のさまざまな情報や人間関係の、珍しいお話が聞けます。
いわば、大学時代のサークルのBOXでの、ダベリング、談話のような、そこに行けば、何か新しいことや情報に出会えるし、メンバーとも仲良くなれる、ような。笑
最初は、この濃い人間関係にびっくりしましたが、自分の意思からは、もう離脱できないと感じています。
その時間帯に仕事が入って、絶対、物理的に行けなくなれば、離脱できそうですが、
来年度の仕事は、今のところ、入らなそうというか、その月曜日の時間帯を僕の意思で空けれそうなんですね。
僕は、学ビストとして、俳句・川柳・短歌・児童文学・小説とさまざまな教室で学びました。
そこでの知り合えた人間関係もうっすらとあります。
某先生の小説塾は、今でもメンバーであるつもりですし、児童文学関係の某先生にも師事しているつもりです。
ですから、何となく、児童文学会、小説界にも、交わってゆく下地があるし、予感もあります。
小説界は入れるかどうか、わかりませんが、たぶん、来年’24年度のどこかで、日本児童文学協会には入会せざるを得ないな、と思っています。
すると、やがて児童文学界にも属してゆくのだ思います。
同人雑誌はやったことがないし、今のところ、やるつもりもありません。
たぶん、興味関心がその三つから離れることはなさそうだから。
一つには止まれないでしょうから。
さて、詩界って、まだまだわからないことばかりです。
自分はまだまだ一人の投稿者に過ぎないし、プロ詩人ではない、と思っています。
まあ素人のセミ・プロぐらいかな、と。
例えば、メジャーな詩誌で「詩と思想」と「現代詩手帖」の二つがあって、
これが似て非なるものだということがわかってきました。
ある詩人が書かれた文章を読んだ記憶がありますし、実際に習った某有名な詩人の方がおっしゃった情報(ここでは詳しく述べれません)を合わせると、
派閥的(?)には、「詩と思想」は誰でも入れる開放主義で、「現代詩手帖」はエリート主義で一定の基準でしか認めないのだ、と。
素人目には、最初、わからなかったのですが、そうなんだ、と思います。
これって、WEB上では、どなたも触れられないので、敢えて、ここに記しておきます。
あるといえばある、ないといえばない、どちらかといえば、〈見えない空気のようなもの〉なんでしょう。
でも、初心者は知っておいた方が良いような……。
日本の詩界は、日本詩人クラブと、日本現代詩人会があって、両方、属している方が多くて、
たぶん、そこでの人間関係やら何やらがあるみたいですね。
また、そこへ複雑に、政治的(?)な「現代詩手帖」・思潮社という一つの核が関係している、と理解しております。
また、面白く感じるのは、この「詩と思想」と「現代詩手帖」の核には、技法的には前者が抒情詩・民衆詩、後者が象徴詩が中心な面も分断されてるわけじゃないけれど、傾向としては分かれてあるみたいですね。
僕は、抒情詩も象徴詩も、どちらも好きです。
プロ詩人の方もどちらのグループにも属している方もおられますし、この辺は僕には分かりません。
ただ、どうやら、上手い詩を目指して投稿を繰り返しているだけでは収まらない段階が来るんだ、と感じています。
「現代詩手帖」の’23年12月号の〈現代詩年鑑2024〉に掲載されているアンケートの詩人の名前、掲載されている詩作品を眺めながら、
〈詩界〉について、いつも考えることや、現時点で理解していることを、今日は、書いてみました。
きっとここ関西ではわからない、さまざまなことが関東圏・東京では、もっとあるんでしょうね。
兵庫県現代詩協会は、開放的です。
さまざまな方がおられて、面白いです。
どなたでも(大阪、在住の方も時々おられます)、参加できます。
僕は’19年11月に所属した、新参者で、単なる一般会員ですが、少しずつメンバーと仲良くなっている(?)段階です。
見かければ、お声がけください。