明後日の金曜日には、神戸から夜行バスで山口県へ向かいます。
11/25(土)・26(日)に放送大学スクーリング「村上春樹の世界」を受講するためです。
帰りの新幹線の切符も買ったし、宿泊するカプセルホテル(予約が遅くて、そこしか空いてませんでした。笑)もとったし、すごく楽しみにしています。
でも、大はずれの可能性もあるし、でたとこ勝負です。
ハズレを引く覚悟はあります。
放送大学大学院の修士課程に在籍した’08年から’10年にかけては、千葉の放送大学本部へ行って色々と宿泊したことは何度かありますが、
放送大学のスクーリング単体で宿泊を伴うのは、初めてです。
山口県なんて、20代の学生で、旅行に行った以来です。
あの頃は、絵が描けなかったんですね。
そうか、小さなスケッチ帳を持って行こう。
この山口学習センターは、山口大学の一角にあるんですが、実は同じ湯田温泉駅の徒歩圏内に、中原中也記念館があるんですね。
そこへ行くのが、隠れたミッションになっています。笑
なんせ、来年には第2詩集を刊行する予定をしてまして、当然、中原中也賞へ応募しますので、
中也さんを産んだ土地の産神へちょっくら挨拶しておこうと思ったんです。
「いい詩集になりますように。できれば、中原中也賞をください」って、厚かましいお願いもして(おいおい)。笑
小説の勉強に行って、詩集を作る応援をもらえるなんて、まさに一石二鳥。
最高ですよね。
さて、太宰治賞は苦吟中で、匍匐の不前進です。
ついつい、才能不足を感じて、自己否定・自己嫌悪に陥ります。
詩の時は、自分の力だけで書いてませんからね。
言葉、言霊に導かれるまま、書いてるから楽です。
どこかに小説用の言霊も落ちているか、かくれんぼしているのでしょうか。
なのに、こんなことを思いました。
小説系創作においての、僕の現状は、児童文学の小さなコップの底で、争っている気がするんです。
大人向けの、しかも純文学はほんと、その片手間にやってました。
その取り組み方を辞めて、王者・純文学へ’24年度からは、一年以上の間フルに挑戦すべきだ、と思ってしまいました。
僕の中では、純文学は【神格化】されています。
憧れは消しても消しても、消えません。
本来、詩に対しても憧れを持つべきなのに、こちらは日常化してるんです。
そこがどうにもアンバランスで、落ち着かない。
僕の心のどこかで、《足らないパーツ》を埋めれば、同じく日常化できるんだ、という信念も、なぜかあるんです。
本来、散文こそ、この日常世界ですから。
そんな1年、純文学を書くなんて、無理じゃん。無理筋だよ、と左脳審査官は絶否定して、
「今、現在、太宰治賞もすぐ力不足に絶望してしまう状況なのに、何をばかなことを」と大騒ぎするんですが、
そんなときは、数多ある先達のプロ作品に学べばいいんだから、と思うんです。
たぶん、その困難な方へ挑戦しないと、自分の中の【ストーリー展開の呪縛】や、力不足は解消しない、と思い至りました。
どちらにせよ、この’23年11月から、来年3月までは、創作では講談社児童文学新人賞しか書かない予定で、あとは全部、大人向けの純文学へ取り組むつもりでしたから。
12月に児童文学の評論を30枚、書きますがね。
僕も歳なので、残りの人生少ないですから、もう絶望する暇があるのなら、学ぶ進むべきだと思うのです。
今、色々と進むべき方向性は見えた気がするんです。
それを実際に作品化する経験値か、力不足に陥っている。
〈企み〉を具現化する筆力をつけたいな、と。
それが自分には、できる。
そう信じよう。