試合には、万全の準備で臨んでも、初戦でつまずき、劣勢を挽回できないまま、競り負けるまさかの敗退があるもの。
バドミントンは心理的な要素もあるスポーツなので、1・2回戦は正式ルールの21点よりは遥に点数が少ない15点とかで、その競り負けがよくありました。
逆から見れば、実力差を跳ね返す、僥倖的な勝利が転がってくる時もある、のです。
このブログで、今回の三田文学新人賞は見送って、
その代わり(いや、楽な方に逃げただけ。笑)、ふくい風花随筆文学賞を書き上げ、
かつ、京都キタ短編文学賞に取り組んでいますよ、の宣言をしました。
その文言通り、昨日、京都キタ短編文学賞も書き上げて、WEB提出できました。
元原稿4枚の大幅な改変で、大筋の主要登場人物は同じでも、全くの別原稿になり、
その出来も、数倍、よく出来上がり、僕の最高傑作と言ってもいいレベルになった、と思います。
落選したら、その4,991文字の原稿を30枚、50枚の作品に書き換えたいな、と思う大きな世界観も再現できたと自負できます。
やってよかった、と心から思いました。
で、その後、3年前に三田文学新人賞へ応募した原稿をちらっと見てみると、
沸々と、「今の力と知見でこれを書き換えたい」と思う衝動が沸き起こってしまいました。
「まさか」
「いや、それは左右がに無理ゲーだろう」
僕の中の左脳審査官が止めましたが、
いいえ、その衝動に身を委ねてみようかと決意しました。
26日でできないと思ったことが、29日の今、より条件の厳しい中でできる訳がない。
でも、挑戦してみたい。
どうせできなくても、別にマイナスになることはありません。
やる価値があることだけは確かですから、と。
追い詰められたからこそ出る、火事場の馬鹿力にも期待できましよう。
なんだか、これでは今の自分の行動はアニメか、ライトノベルの主人公みたいだな、と苦笑しています。
今、これを書いているのは、朝の、5時20分。
まだたっぷり時間はあります。
ともかく、今日一日、やってみるつもりです。
ずっと躊躇してた理由は、いきなり書けないからです。
先の京都キタ短編文学賞は、元原稿自体に、タイムトラベルものプラス歴史上のある人物の活躍というストーリー的な〈企み〉が、
元々あったんですね。
だから、その〈企み〉を活かす方向にストーリーを膨らませやすかった。
単純にストーリーを展開させたわけじゃないんです。
今の、僕が小説に求めている条件にうまく合致してたんですね。
自分の今の筆力なら、書く方向性さえ定まって、内容を問わなければ、1日で最大50枚は書けます。
でも、それじゃダメなんですよ。
必要なのは新鮮で意外さを含んだ〈企み〉です。
それが思いつく前の段階で、無理だろう、と今回は断念したんでした。
でも、それを撤回する。
じゃあ、午前中は、その〈企み〉創出の、苦しみとの闘いになります。
書く作業じゃ全然なくて、自分自身とのせめぎ合い、前述の左脳審査官の、
「無駄、無駄、無駄! 無駄だから、やめろ」
「そんな陳腐でくだらないアイデアで挑むなんで、バカだ」
と、散々な罵詈雑言の羅列に耐えながら、頑張らなければなりません。
このせめぎ合いが、一番苦しいんです。
でも、やってみます。
3年間の積み重ねた自分の、総合的な筆力と、小説の本質への分析結果を信じて。
三田文学新人賞は、毎年5月号に掲載されています。
まずは、その読み直しです。





