やっぱり、最後まで足掻きます。三田文学新人賞へ | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

試合には、万全の準備で臨んでも、初戦でつまずき、劣勢を挽回できないまま、競り負けるまさかの敗退があるもの。

バドミントンは心理的な要素もあるスポーツなので、1・2回戦は正式ルールの21点よりは遥に点数が少ない15点とかで、その競り負けがよくありました。

逆から見れば、実力差を跳ね返す、僥倖的な勝利が転がってくる時もある、のです。

 

このブログで、今回の三田文学新人賞は見送って、

その代わり(いや、楽な方に逃げただけ。笑)、ふくい風花随筆文学賞を書き上げ、

かつ、京都キタ短編文学賞に取り組んでいますよ、の宣言をしました。

 

その文言通り、昨日、京都キタ短編文学賞も書き上げて、WEB提出できました。

元原稿4枚の大幅な改変で、大筋の主要登場人物は同じでも、全くの別原稿になり、

その出来も、数倍、よく出来上がり、僕の最高傑作と言ってもいいレベルになった、と思います。

落選したら、その4,991文字の原稿を30枚、50枚の作品に書き換えたいな、と思う大きな世界観も再現できたと自負できます。

 

やってよかった、と心から思いました。

 

で、その後、3年前に三田文学新人賞へ応募した原稿をちらっと見てみると、

沸々と、「今の力と知見でこれを書き換えたい」と思う衝動が沸き起こってしまいました。

 

「まさか」

「いや、それは左右がに無理ゲーだろう」

 

僕の中の左脳審査官が止めましたが、

いいえ、その衝動に身を委ねてみようかと決意しました。

 

26日でできないと思ったことが、29日の今、より条件の厳しい中でできる訳がない。

でも、挑戦してみたい。

どうせできなくても、別にマイナスになることはありません。

やる価値があることだけは確かですから、と。

 

追い詰められたからこそ出る、火事場の馬鹿力にも期待できましよう。

 

なんだか、これでは今の自分の行動はアニメか、ライトノベルの主人公みたいだな、と苦笑しています。

 

今、これを書いているのは、朝の、5時20分。

まだたっぷり時間はあります。

ともかく、今日一日、やってみるつもりです。

 

ずっと躊躇してた理由は、いきなり書けないからです。

先の京都キタ短編文学賞は、元原稿自体に、タイムトラベルものプラス歴史上のある人物の活躍というストーリー的な〈企み〉が、

元々あったんですね。

だから、その〈企み〉を活かす方向にストーリーを膨らませやすかった。

 

単純にストーリーを展開させたわけじゃないんです。

今の、僕が小説に求めている条件にうまく合致してたんですね。

 

自分の今の筆力なら、書く方向性さえ定まって、内容を問わなければ、1日で最大50枚は書けます。

でも、それじゃダメなんですよ。

必要なのは新鮮で意外さを含んだ〈企み〉です。

それが思いつく前の段階で、無理だろう、と今回は断念したんでした。

でも、それを撤回する。

 

じゃあ、午前中は、その〈企み〉創出の、苦しみとの闘いになります。

書く作業じゃ全然なくて、自分自身とのせめぎ合い、前述の左脳審査官の、

「無駄、無駄、無駄! 無駄だから、やめろ」

「そんな陳腐でくだらないアイデアで挑むなんで、バカだ」

と、散々な罵詈雑言の羅列に耐えながら、頑張らなければなりません。

 

このせめぎ合いが、一番苦しいんです。

 

でも、やってみます。

3年間の積み重ねた自分の、総合的な筆力と、小説の本質への分析結果を信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

三田文学新人賞は、毎年5月号に掲載されています。

まずは、その読み直しです。