今日から、土日の二日間は、大阪で放送大学スクーリング「コミュニケーション論入門」です。
どんなものになるのやら、新しい知見を得ることを期待しています。
詩や小説創作の何らかの刺激になればいいのですが。
まあ、宝くじはハズレをひいても諦めず、引き続けることしかありませんからね。
で、土日がほぼスクーリングで潰れると、いよいよ三田文学新人賞100枚は、完成が風前の灯なんですが、
過去の落選原稿を、リボーン再生させるプランを持っています。
とにかく、挑戦することでしか前へ進めませんから。
今まで、ちゃんと小説が書けなかった原因を〈ストーリー展開の呪縛〉と、このブログでも、何年も呼び続けていますが、
それはストーリーから考えるから呪縛されるのだという総括して、結論に至りました。
そこで、新機軸として、何かしらの〈企み〉優先で作品を作ることをやってみようと考えています。
「何、それ?」と、皆さんはお思いでしょうが、
簡単なことで、現代詩と同じ創作プロセスにしようと言うわけです。
詩の場合は、ストーリー展開は必ずしも必須で張りませんから、最初にキャラクターや粗筋めいたものは一切考えません。
これも、このブログで何度か書いているように、胸の中のモヤモヤをかきながら言語化しているだけなんですね。
もちろん、後付け推敲で、ストーリーめいた、起承転結にした方がスッキリして、すごく良くなる場合も多いんですが、
あくまでも後付けです。
ところが、小説の場合、特に長い100枚とかのものは、一所懸命キャラクターやストーリーを考えてから書こうとするわけです。
それがきっと王道なのだと思いますが、どうやら僕には無家血ないなあ、と結論づけました。