昨日の反省を踏まえて、どうするべきか、考えました。
そもそも、長い小説が書けると思うから、書けない苦しみが生まれている気がするんです。
16年前、10年前よりも、小説が遥に書けるようになったのは、事実。
それは自惚れでもなく、自信がある。
けれど、それは30枚まで、どう頑張っても50枚までで、それ以上になると、破綻してしまう。
それも事実だと思う。
また、じゃあ、書けている30枚、50枚が面白いかというと、全然そうじゃない。涙
それも事実。
だから、自分は小説が書けない赤ん坊なんだと謙虚になるべきだ、と思いました。
零(ゼロ)地点、いや、できないマイナス地点からスタートして、学ぶ直すのだと思った方が気がいいのかもしれない。
今までも、自分はまだまだ力不足だと持ったけれど、もっと物語初心者なんだ、と謙虚に学ぶべきだな、と。
実際、その方が楽だ。
できない、できない、うまく書けない、でも、書いてみようじゃ、絶対書けないからね。
どこだろう、どこを直せばいいんだろう、と思うから、苦しいんだよね。
さて、ゼロから構築とはいえ、本当にゼロから構築していたら、8/31までに200枚は書けない。(書けなくてもいいんだけど、〆切を伸ばすとキリがない)
既存のものの改良化の改稿か、新規か。
どちらも難事だが、改稿の方が現実的。
でも、元がダメだから、限界がある。
ここはひとまず置いといて、とにかく〈ストーリー展開の呪縛思考〉からの脱却しないといけない、のが第1目標とずっとしているが、容易じゃない。
突破ポイントは、見えない敵対者と、因果プロットの設置、伏線回収の仕方だと見極めることはできています。
〈見えない敵対者〉の処遇(それを輝かすための〈企み〉もセットになるから)が鍵。
今までは、文章表現として〈見える〉ものだけを相手にしていた。
でも、今は〈見えないもの〉をどう活かすかがキーだ。
(考えてみれば、岡野大嗣さんの「メモのたね」も〈見えないものの見える化作業〉のような気がする。
名付けるためには、まずは〈見える化〉が必要だよね。
でも、言葉は不完全だから、「部分見え」なんだろうけれど。)
詩の場合は〈見えない敵対者〉に象徴される〈見えないモヤモヤ〉がメインになって、
なんとかそれを表現しようと、見える表現を四苦八苦して作品が完成する。
ところが、小説の場合、僕は見える表現が主になって、〈見えない表現されるもの〉が従属してしまうんですね。
その見える表現の最たるものが〈ストーリー展開と、その呪縛〉なんだと思う。
10枚程度の短い作品なら、なんとか持ち堪えられるんですが、50枚、100枚になると破綻しちゃう。
構成力がないの一言では言い尽くせないスキル不足と、何かの欠乏があるんでしょう。
で、ここまでは理解できて、じゃあどうするのか、行動面で。
自分の敬愛する作家の作品を読み込む。
♫:読んで、読んで、読まれて、読んで、
読みつぶれて寝むるまで読んで、やがて男は静かに眠るのでしょう♫ by河島英五「酒と泪と男と女」から編曲(おいおい)
冗談はさておき、岩瀬成子・江國香織・湯本香樹実・恒川光太郎・伊坂幸太郎・今村夏子・朝吹真理子などなど、
今まで、その表現を少しでも研究したプロ作家たちをもう一度、深く分析してみる。
それらから、〈見えない敵対者〉の処理を見つける。
そして、見つけたそれらを少しずつ足して、掻き回してスムージーにしてミックスしてみようと思います。
どうせ完璧にトレースできない、できたら凄い、一部でもできて足せたなら、融合したなら、どうなる?
プロ中のプロから学ぶべきだ。
どうせ研究するなら。
そして、最後に須賀敦子を加えるんだ。笑
まあ、とにかく、もうやぶれかぶれ。
それぐらいしないと、ここ数年間の足踏みは何も変わらない。
この作戦、2・3日前から、もうやり始めてます。
どうせ、死ぬまで、小説への夢を辞められないなら、とことんやるしかない。