もうずばり書いてしまいましょう。
(きっと、こんなにも、いろいろな詩の教室に行ってる人間って、少数だろうし、
その中で、それをブログに書く情報は少ないでしょうから)
この前、ここに小池昌代さんのオンラインで、詩の教室を受講していると書きました。
とても刺激的で面白く、ためになる、と。
で、あと一つ、受講している詩のオンライン教室は、
三角みづ紀さんのものです。
お二人の詩の講義は全然違うんですよ。
小池昌代さんは、受講生の側、こちらに寄り添い、三角さんは、読み手に寄り添ってる。
だから、同じように受講生の作品を解説しても、受け手である僕には、
ずいぶん違う受け取り方になります。
小池昌代教室での、先生の一言一言がどれもすごく腑に落ちる。
自分の作品の中に、「新しい自分を発見させられる」感覚があるんですよね。
対して、三角みづ紀教室は、三角さんの解きあかす「違う感覚」をトレースする感じと言えるでしょうか。
それが身につくかどうかはわからないけれど。
結果、自分の詩の感覚と三角さんとの齟齬を発見できます。
自分は、すべてをクリアな分かりやすさで書きたい散文感覚で、まだまだ詩を書いていると気づかされたんですね。
「意図的な曖昧さ」で読み手を想像させる感覚が三角さんは重視していて、
まだまだ、そうした感覚が自分の中になく、「甘いんだ」と気づかされました。
小池昌代さんと、三角みづ紀さんとでは世代が違うし、
何より、三角さんも小説を書くにしろ、残念ながら、
まだまだ小説家としての一般浸透度は、小池昌代さんに及んでいないと思います。
どっちが上とかではなくて。
それはお二人の作風の違いかもしれませんね。
ともあれ、自分をまだまだ伸ばしていきたいものです。