オンライン詩の教室の違い | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

もうずばり書いてしまいましょう。


(きっと、こんなにも、いろいろな詩の教室に行ってる人間って、少数だろうし、

その中で、それをブログに書く情報は少ないでしょうから)


この前、ここに小池昌代さんのオンラインで、詩の教室を受講していると書きました。

とても刺激的で面白く、ためになる、と。


で、あと一つ、受講している詩のオンライン教室は、

三角みづ紀さんのものです。


お二人の詩の講義は全然違うんですよ。


小池昌代さんは、受講生の側、こちらに寄り添い、三角さんは、読み手に寄り添ってる。

だから、同じように受講生の作品を解説しても、受け手である僕には、

ずいぶん違う受け取り方になります。


小池昌代教室での、先生の一言一言がどれもすごく腑に落ちる。

自分の作品の中に、「新しい自分を発見させられる」感覚があるんですよね。


対して、三角みづ紀教室は、三角さんの解きあかす「違う感覚」をトレースする感じと言えるでしょうか。

それが身につくかどうかはわからないけれど。


結果、自分の詩の感覚と三角さんとの齟齬を発見できます。


自分は、すべてをクリアな分かりやすさで書きたい散文感覚で、まだまだ詩を書いていると気づかされたんですね。


「意図的な曖昧さ」で読み手を想像させる感覚が三角さんは重視していて、

まだまだ、そうした感覚が自分の中になく、「甘いんだ」と気づかされました。


小池昌代さんと、三角みづ紀さんとでは世代が違うし、

何より、三角さんも小説を書くにしろ、残念ながら、

まだまだ小説家としての一般浸透度は、小池昌代さんに及んでいないと思います。

どっちが上とかではなくて。


それはお二人の作風の違いかもしれませんね。




ともあれ、自分をまだまだ伸ばしていきたいものです。