結局、深夜まで書き続けてしまった4枚小説 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

結局、昨日は通常の就寝時間の22時をすぎて、

23時半ぐらいまで、

4枚小説の4作目を完成させるのに夢中になってしまいました。


今までの落選作や途中作の、改稿、改作なので、

作業的な工程だったので、

大してクリエイティブなものではなかったのですが、

とても勉強になりました。


各意味(内容)段落ごとに、ギリギリまで台詞と地の文も絞る。

字数が限られてから、心情表現も最低限にならざるを得ないし、

でも、逆にそれだけだとあらすじみたいになるから、どこか深めるシーンが1箇所は欲しくなる。


ああ、愉しい。

心から、そう思いました。

小説を書く醍醐味がダイレクトに味わえます。


いつもは、その前々段階の構想パートで、ひたすら脂汗を流しながら、

煩悶苦闘しているだけですから、

全然違います。


何よりも、今までの、いろいろな教室で、プロ作家の方に言われた忠告が、

ときどき、ふっと蘇ってきて、

ああ、こうだったよね、こうしろと言われたよね、と添削できていきます。


「おおっ、これって、北斗神拳の究極奥義、無想転生みたいだ。先生方が乗り移ってくるぞ」

そんな嘯きを漏らしたくなりました。


元が10枚、15枚なので、切り捨てたシーンや枚数が、

どこかの一文、一行に、台詞の一語にバックストーリーのように、憑依させたくなります。

いや、なるように仕向けます。


ああ、これが書いてないことを書くことだよな、としみじみと実感。

この感覚を、素で描けるようになりたいな、とまた願ってしまいます。


骨子を、こうしてしっかりと目に見える文章として現世(?)へ実体化できれば、

あと迷わなくて済むよな、と思ったりしました。

いつも、構想倒れで、撃沈するので、

パイロットフィルムのように、こいつを試し書きしてみる。

それから、プロット立てをするという工程を経ることを、自分に課してみてもいいかも、とも思いました。


追記)

4枚小説って、ジャンルや形式的にはショートショートに分類されると思います。

でも、ショートショート作家の中には、ほんとにオチだけ、アイデアだけで深く人間を描かない(描けない)作家を知っています。


そのショートショートとは、根本的に違う気がします。

方向性がなんとなくあって書き継いでいることと、章(段落)ごとの柱をしっかりする意識があるから、楽なのかな。

このことは、また明日以降、書きたいです。