昨日、岡野大嗣さんのオンライン短歌講座の2回目でした。
僕は、出張先の姫路市から必死で帰ってきましたが、19:40に講座へWEB入室。
講座では、先月の提出した短歌作品と、その構想の〈メモのたね〉を、一つ一つ丁寧に岡野さんが説明しつつ、
改作案を示すというもの。
これがまた、素晴らしかった。
改作案がオリジナリティあふれる秀逸な短歌に改作さているのは、もちろん、凄いんですが、
〈メモのたね〉のどういう点に着目して、その改作案が埋めれたのかを、詳説してくれるので、
岡野さんの着眼点や、〈メモのたね〉の捕まえ方が非常によくわかるのが凄いんです。
ああ、こんな点が、こんな風に事象の「裏側」を探ればいいんだ、時間と空間の捻れ方や飛躍はこうして生まれるんだ、と非常に勉強になりました。
まさに、「天才」の感性を伝授してもらったようなもの。
僕自身は短歌というよりも、〈現代詩〉の1行詩の作り方を教えてもらったようなものでした。
すごく、こちらの感性を刺激して、そのやり方で詩を書こうと決意しました。
岡野さんも「短歌というよりも、ここに詩が生まれますよね」と仰っておられたのは至言です。
他にも名言の数々。
「(はっきりした体験・感情があるものを歌にするのだと思ってましたという質問に対して)
短歌でなく、詩も同じで、すでにあると思うものに化粧をするものじゃない」
「裏側から見たら、どう見えるのだろう、見方を変えるとどうなるのか」
「出来上がったものを壊すと言おうか、思いついたことに対して掛け算というか、プラスアルファになるように書くことが類想から離れることになる」etc
しかも、大幅に延長して、色々と説明をいただきました。
ありがとうございます。
(残念ながら、僕の短歌は遅刻より前の時間に解説が終わっていて、聞けずじまいでした。とほほほ。
でも、後で、オンデマンドのビデオが視聴できるので、それを楽しみにしています)
僕も、詩の場合、自分の中のもやもやとしたものを書きながら、詩の言葉に変換していく、
一見、岡野さんと同じような作業をしていたんですが、
頭の中で無駄なものを捨て去っていたのが、全然違いました。
実はそちらの方にこそオリジナルなものがあるかもしれないと気づかせてもらいました。
まずは、そのモヤモヤ自体を言語化して、そのエッセイもどきの言葉の羅列メモ=〈メモのたね〉化してから、
次は書いてみようと思っています。
詩は、言葉になる裏側を探れば、まだまだオリジナルな見方ができる。
伸び代はある、そう思えた講義でした。
(僕は、もともと、詩を書けるようになった6年前自体が、いきなりの奇跡であり、思いつきから始まっていますからね。
才能なんて、創ればいい。
自分で、掘り出せるものが才能だ。
ほんと、そう信じています。)
でも、まだ今日は、放送大学のレポート書きです。
岡野大嗣さんを知らない方は、以下の歌集をお読みください。
従来の短歌とは全く違うものですよ。