児童文学系の同人誌「季節風」というのがある。
名前を知っていたし、作家のあさのあつこさん(『バッテリー』でお馴染みの売れっ子小説家)が出た印象が強く、名前だけはよく拝見していた。
レベルは高いんだろうな、と思っていた。
最近、よく読んでいる森川成美さんという作家もそこ出身ということを知り、
本格的に調べてみた。
調べると、かなり全国的な組織で、また素人(?)でも加入できる組織みたいだ。
購読会員と、投稿会員とがある。
実はもう半ば、加入する決意は固まっている。
どちらにするか迷っているだけで。
いつも習っている児童文学の某先生にメールでその是非を相談してみた。
お返事をいただければ、その内容で決断しようと思っている。
(その教室は、3月終了が決定しているので。
そこが続くのであれば、そんなところへ入る必要はなかった。)
そもそも、児童文学って、純文学系とエンタメ系と両方の要素が渾然と混ざってるんですね。
だからこそ、僕に合っているといえるし、ジャンル分けがはっきりしている大人小説とは違う難しさがそこにある。
何より、自分の一つと比べて優れた点は、文章への解析力だと思っている。
それで、いわゆる「才能」の欠如を補ってきた。
なのに、うんうん捻って、無から創ろうとするのは、方向性として,間違ってないか、と気づいた訳である。
どんな方向性があるか、を深く認識した後で、悩まなければ無駄骨なのではないか。
で、昨日も、ブックオフの店舗回りをして、小学館文庫の『超短編! 大どんでん返し』などを買ってきた。
ラストの逃げ方が、それぞれバラバラで面白かった。
この本は、プロの作家たちが2.000字の枠内で書いたショートショート作品集だ。
読んでいると、プロでもこの字数では上手く収まるラストは無理なものは無理なんだとわかる。
また、そのラストへ向けての転がし方、逃げ方がとても参考になる。
これと、日本児童文学者協会のアンソロジーを徹底的に解析しようと思う。
今までもゲリラ的に同種のことはやってきたのだが、
読むのに時間がかかる分、そして、小説・児童文学が多種多様すぎる分、不徹底だった。
そのことに改めて気づいた。
例のストーリー展開の呪縛とアイデアに囚われ過ぎていたんだ。
今は、そのラストに至る途中の過程プロセス、持って行き方に非常に関心がある。
見える。
見える。
そのアイデアを活かす作品構築の技が。
こうして、中村航先生のおかげで、1年前、半年前より、確実に解析力は上がっている。
お陰で、まだぼんやりしているけど、自分の通る道が朧気ながら見えている気もする。
「これなら、小説が書ける」と思って、始めた6年前と、同じシチュエーションだと思いたい。
ここが頑張りどきなんだと思う。
「才能はなければ、作ればいい」
これが僕の詩を書き始めた、この6年間の奮闘から得た世界観だから。
揺るぎない経験に裏打ちされ、
かつ、現在進行形の。
じゃあ、ここでも自分の分析力をフル活用すれば良い。
確かに、小説においては、創作を志すまでに、無数の本を読んだけれど、
それはストーリーの呪縛に囚われていて、経験値になっていないから、カウント出来ない。
だとすると、
まだまだ小さな池の中で世界を知った気でいる山椒魚と、そう変わらない。
初心者が勘違いして、ただ、読んだ気分で嘯(うそぶ)いているだけなのでは?
諦めるにはまだ早すぎる。
(探偵マーロウの決め台詞「ギムレットにはまだ早すぎる」に倣って)
そう、言おう、自分自身へ。