昨日は、出張仕事でした。
バイクで出かけて、緊張もしていたので疲れて、家へ帰るとバタンキューでした。
今日も半日は持ち帰り仕事をしないといけません。
でも、なんとか書き替えたい、三田文学新人賞。
最悪、そのまま手直しで出す形もありか。
31日の締め切りまで、ほんと7日間。
もう不可能事案になりつつあります。
あれこれ、迷って、最初の1行の踏ん切りがつかない。
改稿案だけで、3つ、4つ、できました。
それはそれで、新作案に変更流用できるから無駄ではないけれど。
ともかく、今までと全く違う書き方をすべきだと思っています。
具体的には、以下の通り。
①プロット因果を表現の柱にした散文。
先日の日記に書きました。
②自分主体の主張ではない、ちゃんとした《一人称》で書くこと。
(実は、今まで自分が書き散らした小説は、一人称風であっても、本当の《一人称》では無かったと思っています。
そう。
今まで〈一人称〉という呼称で、どれも同じだと思い込んでいたのが、それがそもそもの間違いではないかと気づきました。
本物は《主体から距離感語り一人称》であるべきで、主体と一体化してしまう間違った〈一人称〉語りを僕はやっていたな、と大きく反省しました。
正しい《主体から距離感語り一人称》に対して、この間違った日記的な主張語りを、詩で言うところの、近代詩風の〈憑依化距離感無し語り一人称〉と呼んで、区別するべきなんだ、と思っています。)
③《どうなるどうなる意識で誘導する予想外転換する終わり方》になるべき。
つまりは自分が書く現代詩作品で、今、完成時に気をつけている、「スタートと違う、途中で予想外に転換するテーマ・キーワード」と同じような終わり方になること。
そうすれば、読み手の《どうなるどうなる意識》は最高潮になるし、なんとも不思議な事態なので、謎展開も伴い書きやすいはずです。
④一人称でありながら、《他者語り引用による多元視点の導入》で単純と感じさせない多元的な雰囲気を醸し出す。
実質、③と④は今現在、現代詩を書くときに、すでに実行中の書き方なので、
①と②の意識を、文体で書いて、自分の中に定着させること。
これを目的に、もう作品の出来や完成は度外視して、書き始めるしかない。
書きながら、覚悟を決めました。
やってみます。
半日、頑張ります。
あとは野となれ、山となれ、だ。