前にも書いた気がするけど、
昨年度、中原中也賞を受賞した井戸川射子さんの詩集『する、されるユートピア』。
(中也賞は、詩における権威ある新人賞で、詩における芥川賞的な位置付けかな? H氏賞の方がプロ受けしてもっと権威ありそうな気もするけど、一般人は知らないから)
何度読んでも、面白いし、発見がある。
最初、流し読みした程度では、なんじゃこりゃ、こんなの詩と言えないなんて、印象もあったけど、
どっこい、そうじゃない。
噛めば噛むほど、味がある。
普通の難解な暗号風現代詩ではないし、
比較的日常語に近い言葉で書かれている。
かと言って、わかりやすいかと言うと、
全然、そうじゃない。
読んでも、意味が半分ぐらしか、わからないんじやないかな。
想像の斜め上、と言う言葉はよく形容されるけど、
そうじゃなくて、斜め下あたりをほじくってそうな、意外性や新鮮さがある。
読む度に発見があります。
おそらく作者が意図していない無意識にやっている凄さがあります。
優れた作品や、文字通り才能ある人にはありがちな奥の深さ。
敬して、学びたいと思います。
内容面に触れると、
若い女性らしい詩だ。
女性詩人なのに、主体と人称を、「ぼく」と言う少年にしてあるのも、仮託した虚構性が生じて、
奥深さと文学性が生まれている気がします。
2篇だけ具体的な分析を、メモ帳から抜き出して書きます。
・「熱帯鳥類館 内部」
描写はしているが、鳥類館自体のものはほとんど削除されているのが想定外。
なかなかこうは書けない。いや、書かないな。
つい、鳥たちを僕なら描写しちゃう。
また、誰へとも分からぬ会話体と、明らかに鳥類に反応している身体性の併存も謎めいた雰囲気を生む。
・「立国」
何ということもない寝そべる行為だけで、自分の、唇や指、耳で、ここまで謎めいて読ませることが出来るんだ、
とその感性に少しビックリ。
なら、こうした書き方、パーツの部分描写で、身体性と絡めたら、僕ならバドミントンが描ける。
羽根やラケットに拘って書く必然性はなく、身体と動きの塊りと結果なのだから。
勉強になった。
今、自分自身の、パブリックの現実世界の仕事が苦しい分、パーソナルな文学世界を少しでも充実させたい。
今日よりも明日は進歩している。
いいことがある。
そう信じて、努力するしかない。
努力せずに、神様が助けてくれることはないし、幸運も訪れない。
そう思っています。
失敗や苦しい経験は、いつか成功へ繋がるきっかけや、誰かを助けるヒントになる。
そう信じて。