自分の気持ちや自然、風物を五音か七音で切り取るこの日記をつけ始めて、
2ヶ月が経ちます。
ほぼ通勤の途中の満員電車の中か、仕事場まで歩いているときに感じたこと、
気づいた季節の変わり目、風の動き、雨の降る様子、鳥の声、人の装い、
ありとあらゆるものが素材になるんですよね。
一瞬、一瞬の時間を、
鳥が横切るその瞬間を切り取り、句に、歌に、それらの卵になるんだな、と心で記録できるようになりました。
1日1日ではわからないけれど、ひと月あれば、
確実に深まる春の季節、弱まる冬の気配。
時間が停止できること。
自分を点景の一つと客観視できること。
季語は難しい意識が先走ってばかりだったけど、大事なことは、季節を自然を感じることが先なんだな。
それがまた季語を自分のものにすることに繋がる。
(絵でいう、見えれば描ける。描ければ見えるの無限ループと同じ構造。
季語が分かる→季節が見える。季節が見えれば→季語が分かる。)
それから、俳句は、言葉を少なくするだけじゃなくて、
感じ取った風物を、ソノ一点以外は、たくさん捨てること。
つまりは、拡散から集中、焦点化なんですね。
また、風景を切り取れば、今度は人の心が、人を重ねた社会の動きが見えてくる。
マスクをする人、増えたな、とか。
そこからは、川柳の世界へと繋がって行きました。
続きは、また明日にでも。