『短歌』『俳句』『俳壇』です。
角川短歌賞、角川俳句賞、俳壇賞が、どの程度のものか、知りたいと思ったからです。
『短歌』は図書館にあるみたいですが、買わないと落書きできませんからね。
なぜか、'13年『短歌』12月号はKindleで無料だったので、
ダウンロードして読み始めています。
ちょうど、伊波真人さんと、吉田隼人さんの角川短歌賞の受賞第一作30首が、それぞれ乗っていました。
吉田さんは、一読して、世界観のある発想の短歌だなとか、アララギ派な感じのどっしり感がしましたが、
途中から、独自のエロスな視点になってきます。
伊波さんは、日々の発見を読む若く柔軟な感性が感じられる作品とお見受けしました。
モチーフはドラマや映画が多く、俳優さんかな、と思います。
お二人とも、著名な俳人と肩を並べるレベルに感じました。
特に吉田さんは手堅く成熟した感じで破綻がない。
伊波さんは、軽やかさをどう評価するかで、分かれるでしようね。
さて、僕は思うんですが、
どなたかが書かれていた、
俳句は結社があって、1人の力でなく、他の人の協力、師匠の導きがあって、上達する、と書かれて、
つまり、文学なだけてなく、芸道(奥義や免許皆伝を師匠から受けるシステム)という部分が混ざりあっている、と。
僕は若い頃、空手道や合気柔術の古武道をやっていたこともあり、
日本的な道のシステムの良さは理解しているつもりです。
きっと僕がコーチングすると、バドミントン もどこか道システムになってると自覚しています。
様々な流派?のバドミントン 師匠の教授法をミックスしてますから。
自由を金科玉条にするプロ詩人の方がおられますしね。
たぶん、現代詩を書く方は、形式としては口語自由詩であり、まさに文語定型詩的な俳句とは真逆の存在なので、
俳句の添削ポイントをあまりご存知ではないだろうな、と思います。
だとすると、逆に新しい発見がありそうですね。
僕が勉強好きなマナビストなのも、生来、不器用で、学んだりすることが、芸道や、精進というやり方が好きな部分があるからでしょうか。
そういう意味では、俳句とも親和性があるのでしようか。