講師の先生がお二人という今までにない形。
やっぱり、それぞれの先生で、教室ごとに詩へのアプローチの仕方が微妙に違います。
教室に行くことで、そんな先生の感性を身につけてゆくことが出来ます。
お二人だと、ステレオ放送を聴くように、
また、思わぬ視点が生まれるようです。
「朔太郎の言葉、詩はイメージする文学」
「説明口調をさけて、出来るだけ、具体的に述べること」
「書くことは、読者がどう読むかを常に考えてほしい」
「震災の記憶を文学で書かないといけない」
最初の30分、講義があり、
とても面白かったです。
和合亮一「QQQ」が紹介されました。
和合さんの萩原朔太郎賞の作品を、改めて読むと、
ズレ異化現象がありつつ、感覚描写や、仮構条件の設定ありでした。
以下が、
「蛾になる」という題の詩について、僕の分析内容です。
冒頭「わたしは夜になると/寂しい場所にある大きな刑務所へと歩きます」と仮構条件。
「筋肉を見せつける雲と」
「運動場を入れて持ち帰ったあの子を」
「汗に濡れた思惟の檻で」がズレや異化現象。
「わたし」と「あなた」の感情移入しやすい主体と客体。
「複眼を持て余して/蛾になります/急ぎます」と感覚から題名の蛾が登場します。
最後に、また刑務所に視点が戻ってきます。
個人的にこの作品は、
ちょっと、長くて冗長過ぎる気がしてならないのですがね。
作者の分かっててやってることでしょうが、
もっと言葉が選べるはずです。
行ごとの言葉が、あまり練られていない印象を受けるのが、冗長さを感じられる原因かと思います。
震災というテーマ性だけで、満足しているきがしてしまいます。
* * * * *
詩は、すごくプライベートに作られますが、
でも、コミュニケーションとしての不完全な言葉を使っている限り、
パブリックな要素が残る訳で、
それぞれの詩人ごとにある、その作り方を学び取ることは、とても大切だと僕は考えています。
違うからこそ学び取ることができるのだ、と。
取り敢えず、教室へは1-3月行きます。