毎度、こんなマニアックなブログへの訪問、
皆さま、ありがとうございます
今後ともご贔屓に、よろしくお願い申し上げます。
さて、
ここ数日は、自分の注目作家で、芥川賞受賞作や候補作の、
選評をひと通り読んでおりました。
村田沙耶香さん、今村夏子さん、高山羽根子さん、上田岳弘さん、それに山下澄人さん、
と言った自分の注目したりすきだったりする作家の方たちへの選評を読みながら、
それぞれをまとめてレポート化してみました。
( 山下澄人さんは既存のもの。こんなことをしているのは、まだまだ研究者モードから抜け出せないてないのでしょうね。)
自分に足りないところ、
間違えて隘路化している書き方、
それを告げている選評者の小説観を、まとめながら、自分の中に印象付けます。
後で、それぞれの作品をさらに読み直してみるために。
今までも、自分の小説観や読解力?が成長する度に、
それまで、見えなかった作品の魅力や長所がバァッと発見できるのを、
何度も経験して来ました。
こうした無駄な作業が、現在の僕を作り出しました。
究極、自分の小説観の成長は、
きっかけが小説に留まらず、映画やTVドラマ、ストーリーマンガ、アニメーションの時もありました。
ときに、ヨシモトの漫才を見たときのものもあります。
もちろん、現代詩、近代詩、童謡も。
僕は、物語研究家なんですよ。
選評を読むと、様々な作家たちの言葉が踊っているけれど、
選考者として初登場の際に発した奥泉光さんの選評宣言に集約されてしまうと思う。
自分は「企み」のある小説を推したい。
けれど、「企み」しかない小説はつまらない。
そこに物語が絡まないと面白くない、と言う趣旨の発言でした。
これは前から感じていたことで、
自分にとっては新鮮味はありませんが、
今回、より新しく感じたのは、詩の場合、主人公はほぼ自分のストレートな投影で済みますが、
小説の場合、どう主人公を動かすか、周りの人物たちも含めて、
その擬似世界をどう繰り広げられたのかも問われている気がしました。
奥泉さんの言われる「物語」とは、人物たちだけじゃなくて、
その作品空間や作品世界そのものじやないか、
それをどう表現したかが、問われている。
そう思いました。
人物をどう描こう、どう物語を動かそう、
そこばかり見ていると、間違えてしまうんじゃないか、と。
で、
今回の純文学系作品への挑戦は、また失敗に終わるかもしれません。
でも、とにかく最後まで書き上げること。
そのモチベーションを、維持することが、最低ラインにしたいと思います。
頑張ります。