勉強する途中では、真剣にアート・アニメーション作家になるか、
絵本作家になろうなんて思ってしまい、
何年も絵本やイラストの勉強をしてました。
もともと、児童文学が好きだったので、
童話の研究も並行して行って、
梅花女子大学の児童文学講座には何年も熱心に通いました。
( 若いときの通学制の大学からして、国文学系統の出身ですからね。)
童謡詩人のまど・みちおさんのことも何回も講座を受講していたんですが、
正直、苦手でした。
僕のような、捻くれ者には書けない詩で、
書こうとすると、嘘つきだと指摘するもう一人の自分が、心のどこかにいましたから。
ドロドロとした現実世界を完全に無視した作品を作ることは、
僕にはひどく偽善的に思えてならなかったのでしょうね。
子どもは、天使でもあり、悪魔でもある、と思ってますから、
その天使な部分だけの強調はうまく出来なかったんです。
だから、童謡もそうですが、
幼年童話を書くのに、僕自身はとても抵抗感があるのです。
きっと、自分があまり幸せな子ども時代ではなく、
暗く苦しい時代を長く過ごしたからでもあるでしょう。
スポーツも、音楽も、後年描ける美術・マンガですらも子ども時代は苦手で、創作することは得意ではなかったですね。
今のバドミントン馬鹿で、さらさらっと絵が描ける自分は、一体、どこの誰? と思ってしまいます。
本だけが唯一の、裏切らない友達でした。
毎日、時間を積み重ねてやれば、
ほとんどのことは、平均以上に出来てしまうものだ。
そんな実感を持てなかった子ども時代の自分や少年のころがひどく哀れに思えます。
不器用だからこそ、器用な人の凄さが身に染みて、分かるものなのに。
下手だからこそ、「見える」ものが多々あるというのに、
すべてを諦めて、暮らしておりました。
勿体ないことです。
で、今、なぜ、急に童謡を書こうと思ったか。
直接のきっかけは、
同じ兵庫県の三木露風賞の〆切が7/1であることを見たことなんですが、
いまいち、自分でも謎です。
当然、三木露風の存在も何十年も昔の高校時代から、また、その童謡賞自体も存在は何年も前から存じておりましたから。
これも天命、シンクロニシティの一つなんだと思うことが妥当に思います。
この2年半で、詩の書き方・技法は自分なりにある程度は咀嚼できました。
まどさんを始めとする童謡詩人たち、必然的に北原白秋や野田雨情など、近代詩の大御所たちと対峙して、
その音韻性や、発想、感性を「発見」「吸収」するべき時が来たのだ。
天がそう命じている。
と、考えることが一番収まりがいい気がします。
頑張って、書いてみます。