お書きいただいたコメントの返事が長くなってしまうので、こちらへ書かせてもらいます。
それは、詩人であり、小説家で、また女優でもある川上未映子さんについてです。
僕も川上さんの著書を全部、読んだわけではありません。
ですから、どうこう言えないのですが、
川上さんが研究者的に日本の私小説全般(プロ作家が絶賛する故・尾崎翠さんの作品も僕も持ってはおりますが、しっかり分析読みしておりません)
を読み込んだことを、僕は期待して彼女のコメントを読んではいるわけではありません。
彼女の「感性」で捉えた感想を知りたいと思いつつ、
殊に現代詩と小説の両方を書く「文章感覚」から学びたいと思って注目している次第です。
現代詩の世界は、ご存知に人もいるかもしれませんが、
本当に世間とは隔絶された暗号化の袋小路に陥っており、小説の一般化(=商業化?)された読者を持つ世界とは全くの別物です。
川上さんが中原中也賞もとった大阪弁の詩集が、少なからず現代詩の世界へ衝撃を与えたのは間違いなく、
川上未映子以前と以後と分けられるものと思われます。
その関西弁の饒舌文体はアイデアだけなら、同じく詩人であり芥川賞小説家の町田康と共通する部分があると思われますが、
なぜか、町田さんの詩集はあまり現代詩の世界へインパクトを与えておりません。
それはおそらく、町田さんが詩人としてよりも小説家として認識されて一般化されてしまっているからでしょうし、
さらにその詩が川上さんが連続して出した詩集のような、小説とエッセイと現代詩が混淆された未分化なものではなかったと認識されているからだと思います。
(一部、混淆化された作品も町田さんにはあるのですが)
また、彼女の近年の作品が一般化した平凡な文体になっているのは、それだけ時間を掛けて小説を書けないことと、
編集者側からの、一般受けする作品を要求するニーズとの妥協だと思っています。
ゴーストライターを雇うなら、それこそ文学史的な知識を必須として要求されるその手の評論や対談で利用すべきか、と思っています。
川上さんは、デビュー以後恐ろしく短期間で、売れっ子作家、スター作家に祭り上げられてしまったのは、
その容姿と若さからしてマスコミ的に売りやすく、話題性からして一般受けしてわかりやすかったからだと思います。
誰にでも書けそうで、誰も気づかなかった盲点を突いて書かれた作品は、その初出のアイデアが類似のものがあったにしても、
そのアピール点が最も上手くまとまった人のみがスポットライトを当てられます。
ジョブスによりスマートフォンが初めて世に出た時、日本のメーカーはこんなものいつでも作れると無視して、
その屍を累々と晒すはめに陥ったのは記憶に新しいところです。
(同じ頃に、同じアイデアをその日本のメーカーに若手社員が出したときに、中間管理職は売れる保証がないと握り潰したことが後でわかっております。)
小さくまとまるのではなく、
もう一歩、大きく踏み込む勇気を、持ちたいものです。