僕は、絵が描ける。
高校から始めたバドミントン歴よりは短いけれど、
26歳ぐらいからデッサン教室へ通った経験があるから、
これも何十年のキャリアがある。
もう14年前ぐらいになるけど、
家の壁ぐらいの大きさの150号だったっけ?、卒業制作を油彩画で描いて、
京都造形芸術大学の通信教育部洋画コースを卒業してますから。
その後、アニメーションを手描きやクレイ粘土でやってたりもしましたから、
自分が頭の中で「描いた絵」を、自由に動かしたりもできる。
また、一時、立体制作、粘土から始める石膏像を作ってたこともあるので、
モノのテクスチャー感覚もありますし、
見える方向とは違う、上下左右の「見えない世界」を感じる感覚もある。
平平凡凡な常識的思考から脱却できない、つまらない人間ではあるけれど、
色々な「超感覚」一歩手前ぐらいまではあるかな。
小説創作も、ストーリーを書くというより、本来、こうした感覚描写を主にすべきなんだろうけれど、
未だその方法は分からないままだし、
ある種、スポーツで言うところの「ゾーン」に入らなけば、
これら「超感覚」は発動しないかな。
ふと、日々、自分の才能の無さに嘆き、自分を貶めてばかりだから、
こんなことを思い出したりした。
もちろん、これらの一連の美術系感覚は、小説の描写をする際に、
イマジネーションとして、非常に役立ってるんだろうけど、僕にとっては当たり前過ぎて、よく分かってないんだよね。
詩の創作では、ある瞬間、どっとイメージが浮かぶから直截的で凄く分かりやすいんだけど。