日本国民の高卒以上の人は、ほとんど誰もが読んでいるはずの国民文学。
芥川龍之介の代表作であり、デビュー作とされる「鼻」の発表媒体の少なさからいえば、
何度か改作されたこの「羅生門」の方が、実質的な処女作であるといえるのではないか。
ところが、芥川龍之介研究者の間では、「羅生門」は失敗作として知られている。
後年の少し経ってからの芥川作品と比べると、
22.23才の頃に書かれたこの作品は、芥川にしては、粗雑で、丁寧な描写がなされていない、というのだ。
今、手元にノートがないので詳細は記せないが、
僕が受けた東洋大学の講義でも、比較対照されて納得したことを覚えている。
もちろん、だからといって、この「羅生門」の、高校1年生で初めて本格的に小説と接する若い人たちに対して、
この魅力の魅力が減じられることは一切ないだろう。
なぜなら、圧倒的に面白いからだ。
芥川文学の魅力に溢れている。
さて、今回、読み直してみて、気づかされたのは、
その新現実主義・理知派らしい作品構築。
例えば、文章間が因果プロットに、満ち溢れていること、
さらに、その感覚描写から来るイメージ性の豊かさ、
主人公下人の周りの条件を克明に記したサブテキスト環境の見事さ。
うーむ、筋だけしか見てなければ、絶対に分からないものが、
くっきりと「見えました」。
見えれば、書ける、
書ければ、見える。
【追記】
昨日、実は仕事を早退しました。
急に身体がダルく、熱っぽくなって、
こりゃ不味いぞ、ということで。
オジサンに、変身は無理だったってことですかね。