宇多田ヒカルについての記事、讀賣新聞の5/5朝刊 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

今朝5/5の読賣新聞の朝刊に、歌手の宇多田ヒカルの特集記事があった。

 

宇多田は、次のような曲作りを行うと書かれていた。

 

*    *    *    *     *

 

曲作りのプロセスで歌詞は最後。

最初から何かを書こうと思って作詞することはない。

「何か言葉じゃないものがあり、形にしようとする時、それが絵になる人もいるし、ダンスの人もいる。

私は一度音楽を挟みます」

 

ピアノやギターなどで作った曲を聴きながらイメージを膨らませる。

「ここのメロディーは『あ』で終わりたい、ここは小さい『ッ』。

俳句や短歌のように、言葉になる前の細かい”制約”を増やしていくうちに「私が言いたかったのはそれか」と思い至る

 

「シンガー・ソングライターって、簡単に言うと歌人ですよね」

 

劇的な歌詞は、実話でも作り話でもないという。

例えば「Automatic」と「花束を君に」について。

「7回目のベルで相手が受話器を取ったことはないし、母親に涙色の花束を贈ったこともない。

ディテールを入れることで、そのまま説明する以上の情報量で表現できる。それが詩です

 

*    *    *    *     *

 

記事中の曲の歌詞は、

「Automatic」が「七回目のベルで/受話器を取った君/名前を言わなくても/声ですぐ分かってくれる」で、

「花束を君に」が「花束を君に贈ろう/愛しい人 愛しい人/どんな言葉を並べても/真実にはならないから/今日は贈ろう 涙色の花束を君に」です。


どちらも好きな曲で、

僕の中で、宇多田ヒカルは、女子高生なのにその完成度と衝撃的なデビューから、

文字通り「天才」という印象が強いです。


その頃、小説も書けず、アニメーションを作ることも出来なかった僕は、

自らの不甲斐なさにほとほと呆れ、絶望感に近い感情を持ったことを今も思い出せます。


あの頃に比べたら、

駄作でも小説を書ける今の僕は、少しだけリスペクトしてやっても、いいかな、と思います。(笑)


記事を読んで、一番面白いと感じたのは、

「 最初から何かを書こうと思って作詞することはない。」という箇所。

「何か言葉じゃないものがあり」それを言葉にする作業が曲作り、創作に繋がる点。


最初に、テーマありきではなく、書きながら、思い当たる。


分かってたことですが、

改めて、そこに至る過程を苦しまなきゃ、到達出来ないんだ、と肝に銘じます。


今日も午前中、仕事です。