今朝5/5の読賣新聞の朝刊に、歌手の宇多田ヒカルの特集記事があった。
宇多田は、次のような曲作りを行うと書かれていた。
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曲作りのプロセスで歌詞は最後。
最初から何かを書こうと思って作詞することはない。
「何か言葉じゃないものがあり、形にしようとする時、それが絵になる人もいるし、ダンスの人もいる。
私は一度音楽を挟みます」
ピアノやギターなどで作った曲を聴きながらイメージを膨らませる。
「ここのメロディーは『あ』で終わりたい、ここは小さい『ッ』。
俳句や短歌のように、言葉になる前の細かい”制約”を増やしていくうちに「私が言いたかったのはそれか」と思い至る。
「シンガー・ソングライターって、簡単に言うと歌人ですよね」
劇的な歌詞は、実話でも作り話でもないという。
例えば「Automatic」と「花束を君に」について。
「7回目のベルで相手が受話器を取ったことはないし、母親に涙色の花束を贈ったこともない。
ディテールを入れることで、そのまま説明する以上の情報量で表現できる。それが詩です」
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記事中の曲の歌詞は、
「Automatic」が「七回目のベルで/受話器を取った君/名前を言わなくても/声ですぐ分かってくれる」で、
「花束を君に」が「花束を君に贈ろう/愛しい人 愛しい人/どんな言葉を並べても/真実にはならないから/今日は贈ろう 涙色の花束を君に」です。
どちらも好きな曲で、
僕の中で、宇多田ヒカルは、女子高生なのにその完成度と衝撃的なデビューから、
文字通り「天才」という印象が強いです。
その頃、小説も書けず、アニメーションを作ることも出来なかった僕は、
自らの不甲斐なさにほとほと呆れ、絶望感に近い感情を持ったことを今も思い出せます。
あの頃に比べたら、
駄作でも小説を書ける今の僕は、少しだけリスペクトしてやっても、いいかな、と思います。(笑)
記事を読んで、一番面白いと感じたのは、
「 最初から何かを書こうと思って作詞することはない。」という箇所。
「何か言葉じゃないものがあり」それを言葉にする作業が曲作り、創作に繋がる点。
最初に、テーマありきではなく、書きながら、思い当たる。
分かってたことですが、
改めて、そこに至る過程を苦しまなきゃ、到達出来ないんだ、と肝に銘じます。
今日も午前中、仕事です。