正確には、新人賞の受賞作品無しの講評を読んだだけだけど。
面白いね、ここまで、けちょんけちょんだと。
それぞれの選考委員が求めていることが明確なメッセージになって見えて来る。
・長嶋有さん、
文章に「正解」を求めている。無批判な繰り返しの畳語表現に嫌悪しつつ、文体の自己検閲の必要性を説いている。
それに関連して、無自覚な分かりにくさにはダメ出しして、恣意的な効果や必要性の大切さ(=それって、表現意図であり、「企み」ですよね )を説く。
・川上未映子さん、
この作品独自の小説的な「企み」を強く求めていると感じた。ご自身も素材から生まれる読者への魅力や効果を真摯に考えておられるのが、ひしひしと伝わった。 通俗的なイメージに依拠することへの怠惰に厳しい。(さすが現代詩人! )
問題点を、読者に問うのなら問う、思考停止せずしっかりと見据えるべきと述べる。
・東浩紀さん、
最終選考作品への、「最初から読者の好意と忍耐をアテに」することへの批判。プロ作家なら、「ページやタイトルだけで惹きつけて作品世界に引き込む」仕掛けが欲しいと明言する。
退屈さと、主人公と周囲か、どちらかに変化を求める。(そりゃそうだ。それが時間芸術だからね。)
伏線をちゃんと閉じる無味乾燥で事務的作業を嫌がってはならないと警告。でないと、作品には「変わらない」とも。
・円城塔さん、
( SF系作家らしく )細部や設定の接続の具合に拘りがある。その接続や設定の曖昧さには厳しい。「文芸誌向け」工夫や可能性を掬いあげたいのか? (以前、講演会でも、そうした既存小説の枠に視点がありましたからね。)
・綿矢りささん、
( 基本、それその作品の構造分析に終始して )読者が期待する謎を、「物語自体の文章力や説得力」が生み出してみせるのです、とまとめる。
* * * * *
以下は、ぼくの感想。
フツフフ。
なんと、偶然にも。
たぶん、東さん以外選考委員全員の方に講演会で、お顔やお声を拝見・拝聴したことがある。
いや、もしかしたら、東さんにもどこかのイベントでお会いしたかな。
その事実に、さっき気づいた。
これって、もしやシンクロニシティの一つかな。
今、構想してる原稿は、文學界新人賞向けだからね。
どの方も共通して仰ってる「企み」や「仕掛け」って、
結局は読み手へ何をどう伝えるか、に集約される気がする。
純文学だから、垂れ流していいんだは傲慢不遜すぎるよね。
普段から、小説塾のA先生から求められてこととおんなじだ。