川上未映子著『ウィステリアと三人の女たち』の感想 | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

今日は真面目に、読んだ本の感想を書きます。
前にも少し触れた、川上未映子さんの『ウィステリアと三人の女たち』。

川上未映子さんは、中原中也賞受賞の詩人であり、女優でもあり、
芥川賞作家でもあるマルチな才能の方。

ご結婚前に、講演会を二度ほどお聴きしたことがあります。
今は産まれたばかりの子育てに奮闘しつつの執筆活動で、
おそらく多忙なので、今後、何年かは講演会をなされないと思います。

とても、お綺麗な方で、天は二物を与えずどころの騒ぎじゃなく、
凄い人は凄いのだなあ、と感心させられます。

さて、この本は短編集で四作収録。
表題作が末尾で、冒頭は「彼女と彼女の記憶について」で、原稿用紙換算で61.3枚。
表題作は92枚。
この二作を読み終わりました。

この原稿用紙で何枚かは、今の自分にはすこぶる大切で、
一体、作家はその表現内容を何枚の作品世界に落とし込んだのかを、
体感して、自分の中にそれを再現できるように心掛けております。

200枚や300枚でしか、プロ作家ですら書けないテーマを、
素人作家は挑戦しがちで、奇跡的に成功するのも何十万のうち一つはあるかもしれないが、
ほとんどインポシブルに終わるのは、避けるべきだと考えています。
それって、才能や努力以前の問題ですから。

さて、両作の共通点を言えば、
どちらも通常よくある設定で始まりながら、
後半は全然違う、ある意味、とんでも設定の世界に行ってしまいます。
その点からすれは、読み手を選ぶ小説です。

冒頭作は、同窓会へ参加する女性主人公が過去の自分とある女性と対峙する話であり、
表題作は、隣の亡くなった老女とその屋敷の話から、劇中劇、物語の中に別の物語が展開していく話であります。

そして、川上未映子さんの特徴である日常が少しずつどこかで異化していく、
現代詩的な位相感、或いは異相感がある作品でした。
前作とか、やや普通の小説ぽかったので、
ああ、復活されたと思ってしまいました。

僕も、純文学系の話を書くとしたら、
そうした異相感覚を書くしかないので、こうしたらいいのか、と勉強になりました。

むしろ、吉村萬壱さんの『クチュクチュバーン』のような、いい意味で「ふざけた怪作」は、
真面目な性格の僕には、いくら逆立ちしても書けませんからね。

真面目にふざけるか、漫才的なズラした面白さでなければ不可能です。

さて、この感覚を見本にして、
三田文学応募作品の改稿も、こうした路線でやろうかと思っています。

そろそろ、構成の練り直しに入らないとね。
出来れば、須賀敦子さん的な深みも文体に入れたいなあ。