公募賞と、その結果の関係 | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

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小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

>atlanさんは公募で結果が出ないことについてどう思われますか?
結果こそが全て、それとも、結果が出なくても糧にはなる……atlanさんのお考えを少し伺ってみたくてお聞きしました。

春菜つづりさんから、以上のような質問を頂きました。

さて、どうでしょう。

受賞という結果をどこかで出さなければ、意味ないと僕は思います。
何しろ童話も含めると、実に多くの小説に関する公募賞がありますから。

プロセスが結果より大事なのは、どこかで違う結果を残せることが前提の場合に限られるのではないでしょうか。

弁護士になりたい人が、どれだけ途中のプロセスで頑張ったとしても、
ずっと司法試験に合格しなければ、どうにもなりません。

でも、
大学であれば、たとえ東大に合格しなくても、別の大学、慶應や早稲田に合格すれば、
また別の生き方を模索できますし、
不合格を糧に頑張れば、東大に合格した人より結果を残せる場合があるでしょう。

たぶん、公募賞に入賞することと、
プロの作家になることは、似ているようで違う気がします。

恩田陸さんは、多作で才能溢れる僕の敬愛する作家のお一人ですが、
確か日本ファンタジーノベル最終候補で、受賞せず、作家デビューしています。
( もっとも、日本ファンタジーノベルは大賞は滅多に出さないので、最終候補で通常の大賞並みです。)

何を目標に、公募賞を目指すかで、その意味は変わって来る気がします。

僕は、( 恥ずかしいので、ここで名言したことはありませんが )
プロ作家になりたい。
小説だけで生活が出来る一握りのエース作家は無理にしても、
一年に一冊は本を出してもらえるプロ作家になりたい。
それが偽らざる心情です。

で、去年まではより受賞の可能性があると信じた地方文学賞や、
マイナー文学賞を中心に応募して来ました。
そういった賞に入賞すれば、自分の力を証明出来るとも考えていました。

でも、結果は北日本文学賞に2012年に1次選考を突破したぐらいで、あとは全然でしたから、
力が無いことしか証明出来ていません。
まあ、その後ずっと作品を、ちゃんとした文学賞へ頻繁に応募していた訳ではないのでが、
決して、そうした地方文学賞の方が合格しやすい訳ではないと思います。

地方文学賞というよりも、ストーリー展開系の文学賞だったんだと、僕は考え直し捉え直しています。

往々にして、地方文学賞は短編が多く、100枚以下や、60枚以下だから書きやすく応募しやすいのですね。
ストーリー展開が上手くなければ、通りません。
それって、小説には必要ではあっても、
それだけが小説ではありません。

そのことに気づくのが、とても遅くなってしまった気がします。

中央の王道の文学賞を目指すことに、去年から心掛けております。