続 「十二国記」の書き方 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

昨日のブログの続きです。


今日は具体的に分析してみせます。

その分、かなりマニアックかつアカデミックな単語が、行き交いますが御容赦下さい。


十二国記シリーズの中では、最新巻になる『丕緒(ひしょ)の鳥』(新潮文庫)から主上と呼ばれる小野不由美さんの文を引用します。


・「堂を出て行く青江の背が寂しげだった。青江は蕭蘭の徒弟だった。蕭蘭が姿を消して工手から羅人に取り立てられたが、期を同じくして丕緒は陶鵲の思案をやめた。陶鵲は射儀にのみ使用するものだが、常日頃から工夫をしていなければ急の儀式に間に合わない。にもかかわらず、青江が羅人になってからというもの、丕緒はただの一つも陶鵲を作っていなかった。青江がそれを己のせいだと思っていることは理解していた。青江の腕に不足があるから、丕緒は陶器を作る気になれないのだ、と」p27


小説というのは、1行書くと、その行を既成事実化しながら、

その書かれた内容を因果関係の繋がりの中にパーツとして、埋め込んで行きます。

( これをプロットと呼びます。演劇関係で使う構成を意味するプロットとは用法が全く違います。)


・「寂しげだった」の次は、全体がサブ・エピソードとして語られ、そのプロット・因果関係を「から、~ないのだ、と」結ぶ。


・同時に、「一つも作っていなかった」と事実や情報をプロットのと違う流れに挟み、読み手に新情報として提供する。


・「羅さんの」「陶鵲」と新奇な言葉がこの本文以前から過去に事実としてあって、

読み手を含めて、当然知っている常識的で既存のものとして提示される。

  そのベースが基にあって、そうした新奇さがリアリティを醸し出す。


・一見、これは単なる説明文に見えるが、そうではない。背景や事情(「取り立てられた」「やめた」)を小さなプロットとして因果関係情報として提示して、シーンや会話を盛り上げ、より感情移入しやすいように語っているのだ

 リアリティを増すように過去の情報を既成事実化して(「急の儀式」「作っていなかった」)組み合わせているので、そこに感覚や記憶(「己のせいだと」)を絡ませる

   その際、「やめた」とシンプルな事実報告の積み重ねを少しずつ置く。


ここで、大事なことは、

よくマンガの原作で言われるキャラとしてのプロフィール的で表面的な性格・習慣を決めたから、小説が展開できるのではないこと。


むしろ、

その人物の習慣や性格の背景にある社会構造や位置、人間関係を情報として、

読み手に伝えて行かなければ、

本当の意味で、そのキャラクターは読み手の頭の中で「生きて来ない」と

僕は考えております。


小説において大事なことは、ストーリーを原稿用紙上に展開させることではなく、

読み手の頭の中で、いかに再現させるかだと思います。