試行出来ればいい方で、純文学系の小説の書き方は、
未だに分からないまま。
昨日の詩の講座では、
受講生のお一人が実に熟練の作品を出されて、
非常に勉強になりました。
それは、言葉を文字通り「置く」こと。
2行ほど重ねた詩句を、その「置き言葉」に集約されるように配置する。
まさに、各行が有機的に繫がっていて、
藤本義一流の文章術で言うところの【 切れば血が噴き出る構成 】になっている。
また、この一つの言葉に集約されるやり方は、当然読み手にイメージ化しやすくて、
藤本義一流で言えば、【 1点集中 】にもなっている。
この理解ってのも、藤本義一さんの本を読んで無ければ、
ただ凄いね、上手いねだ終わって体感ルール化も血肉化も出来なかっただろうね。
その意味では、
まだまだ「神の見えざる手=シンクロニシティ」の波が続いている気がするんですよね。
こちらには、「見えない糸」がどこかで繫がっている、まだまだふわふわ漂いながらひっそり繫がり続いている。
それを、自分のものに出来るかどうかは僕ら本人たち次第なんですが。