読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

’24年「第8回新しい詩の声」(主催:日本詩人クラブ)優秀賞を受賞しました。
 その作品「oto ri」を巻頭に掲載した第2詩集『さよなら 家康』を’24年11月30日に上梓しております。他に、伊東静雄賞佳作や、白鳥省吾賞入選作、『びーぐる』54号掲載作、『ココア共和国』傑作選の作品などを含んで、メルカリ限定で頒価1,000円で、出品中です。余分がないので、数冊しか一般に出せません。
 また同様に、第一詩集『ことわり付喪神』(七月堂、'21年9月10日刊行)も、メルカリで売価1.500円(送料込み)で、出品中です。内容は、『ユリイカ』や詩誌『ココア共和国』の入選作品や、その他のコンクールや新聞の文芸欄の入賞作品などパブリックな評価を得たものが中心です。ご購入頂けれは、幸いです。
 この第1詩集『ことわり付喪神』は、『現代詩手帖』’22年1月号の〈詩書月評〉ページで、本書『ことわり付喪神』の講評が須永紀子さんにより掲載されております。同じく詩誌『季刊 びーぐる』54号の詩集時評で、中村不二夫さんが『ことわり付喪神』を講評して、「謎めいた詩集」とお書き頂き、親切丁寧な論評を頂きました。これらもご覧頂けれは、ありがたいです。

トラックボール(=マウスの動かさずに済むやつ)を買い換えました。

 

この上の画像のやつが、この間から、ずっと、おそらく20年近く使っていた、同じケンジントンの一番安いやつ(オービットオプティカル3,100円)もの。

 

 

で、下の画像のやつが、今回買い替えた、もう1段階上のスクロールものリング付き(4,300円)ものです。

 

 

 

 

トラックボールが指で動かすだけで、一番好きなんですよ。

他のメーカーのもので、もう少し安くて、多機能なものもあるんですけど、機能がつけばつくほど故障しやすいし、

純粋の中国製は、半年ぐらいで壊れそうだし、保証期間内でも返金もしてくれるかどうか、わからないから。

 

この4,300円のやつでも、35%OFFで、確かその何十年か前で6,000円だったからね。

この安いやつ、気に入って二つも持っていたんですが、厳密には壊れてはないんだけど、ウインドウを掴んで広げたり狭くしたりする機能だけが、1ヶ月ほど前から急にできなくなっちゃったんですね。

 

内部のパーツの問題というよりも、Macの新しいOSとの相性っぽい壊れ方だったので、試しに買い替えたわけです。

前のより回転パーツで大きくスクロールできるようになったので、すごく快適です。

 

ここから急に、星占いというか、シンクロニシティとか運気とか、スピリチュアルっぽい話になります。笑

 

僕は基本、占いはいいことだけを信じて、頑張るモチベーションにしています。

特に、YouTubeとかでは、前にも紹介した「あやさん」の「星の学校」が好きで、よくみています。

 

前にも書いたように、事前に見たときは「あれっ外れてる」と思っても、その期間が過ぎて、振り返ると、

結構、当たっていることが多いので、重宝しつつ楽しんでいます。

 

運気が変わる時、「モノが壊れる」そうなんですよね。

これは、この「星の学校」ではなかったかもしれませんが。

だから、長年、愛用してきた、このトラックボール型マウスが不調になったのも、運気の変わり目かな、と感じました。

 

ちょうど、今朝は、明晰夢を見ました。

本来の明晰夢は自分が夢だとわかっていて、コントロールができたりするそうなんですが、

そこまでだったかどうかは覚えていません。

 

でも、ただ人物たちがクリアで、さまざまな会話を交わしたり、特別なミッション(僕がしたいと考えている、創作教室関係でした)のための出来事でした。

 

なぜか、茶店で蕎麦を食べるかどうか迷ったり、人探しをして逆にはぐれて、独りになったり、携帯で連絡が取れずデータが消えてたり、

山道を登ったり降りたり、変に細かな設定があって、かつ、映画的にカットを変えて、手元がズームになったり、遠景だったりする、僕の夢っぽいものでした。

一言で言えば、なんかロール・プレイング・ゲームのような長い長い天下と、別れ道っぽい分岐点がある話でした。

もちろん、カラー天然色です。笑

 

で、僕は牡羊座なんですが、石井ゆかりさん星占いによれば、2025年の牡羊座は、7/7七夕の日に「強烈な光が射す」なんてあったんですね。

そんなことはなかったよ、とずっと思ってました。

だって、それまでに一つも入選も受賞もしませんでしたから。

 

 

もちろん、まだ未発表の応募コンクールもいくつかありますがね。

多少はインパクトはある、さばえとかだろうか、もっと大きな野性時代新人賞とか、文學界新人賞のとかは、まさかないだろう、と思ってました。

 

でも、石井ゆかりさんのものも結構、当たっているから、毎年版や3年版をいつも買っています。

 

 

 

でもね、

まあ「宇宙船」的に、異世界へ運ぶし、運んでくるものがあっただろうか、と考えたら、

一応7/7以降に、小説の書き方で、いくつか発見がありました。

 

①【零から出発でアイデアの無限対峙】をしないこと、

 

②事実に「IF的な架構条件」を付け加えて、その〈過去と未来〉を〈どうして・どうなるエンジン〉で補足し、拡張すると、〈自分の独自な物語〉が生まれる【人物群渦への異世界線フォーマット】、

 

③ 〈どうなるどうなるエンジン〉と〈どうしてどうしてエンジン〉の絡めて、その両方の不足をキャッチしてどんどん因果プロット伏線とするようなエピソードや人物群渦を加える【因果プロット伏線を生む問いかけ感覚】、

 

④本田健さんの本に倣って、〈未来からの逆算思考〉で紙へ書き出し、細分化した断片目標を書き上げていく。

 

さらに、12/24の今日現在、小説創作の関連した出来事も振り返ると、

7月中旬に始めたエンタメ小説書きが「ホップ」で、

8-9月に次の大江健三郎講座と文學界新人賞の改稿が「ステップ」、

そして、10-12月に放送大学の一群の面接授業「シェイクスピア・カーヴァー、多和田葉子、ヘミングウェイ」と佛教大学OLC「村上春樹」という、海外翻訳文体グループの世界との深い交流があったのは「ジャンプ」になっている気もしないでもない。

 

今日は、そんなこんなを思いつつ、氷見現代詩大賞へ出す、詩作品の清書作業をしてみます。