読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る) -2ページ目

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

ここ2・3日、ずっと同じネタになります。

文學界新人賞向け原稿を書き進めて、今朝の時点で、117枚になっています。

 

ほぼ、ラストまで、部分部分、完成しているんですが、書きながら、刻一刻と、「書き足らない部分」が見つかるので、

終始、そこを補強したりしながら、書き進めるので、全体で見れば、ここしばらく足踏みしているように見えます。笑

 

それプラス、自分の小説の書き方の間違いと、正しい取り組み方を再点検や新発見しながら、書いています。

 

つまり、

今までまちがっていたのは、作品世界のそのものの流れと人物たちの声や対反射へ目を向けないから、頭の中だけで考えていたミスです。

その間違った進め方で書くから、【ストーリー展開の呪縛】がいつも発生し続けるんだな、とわかってきました。

 

その作品世界でのやり取りに耳を傾け、作中を見回していると、書くべきことが(シーンの仕上がりで)自然と出てくる、

書くべきことが決まってきて、欠落部分を足し書きしています。

(つまり、シーンそのものが展開を決めてゆくことか。=それこそ小説の執筆力であり、作品の声に従うこと)

 

もちろん、最初から作品が教えてくれるわけないので、ある程度は、こちらの意図も最初はあるんですよ。

そこへ、展開の流れからすると、非正常・正常(どちらもあり)な出来事を投入すれば、意図しない展開も、また生じて行き、

最初からの意図と比較検討しながら、両者を最終的には統合している段階に、今、到達している、と感じています。

 

それが正しい投入なら、作品そのものが育ち、作品の流れとして、正常進化して育ってゆくって感じでしょうか。

また、シーンそのものは会話にしろ、演劇的に観客に聞いてもらって、判断してもらう形を、勤めて意識して書いています。

俺位の演劇的な書き方かは、シーンごとに違います。

 

計算では、あと3作業すればいい感じなので、プラス10枚書けばいい感じで、あと6時間ぐらいかな。

 

今日は午前、バドミントンの開放教室のコーチです。

夜20時から京都芸術大学・通信文芸コースの会合に、オンライン参加します。

いつもの同人サークルgrafとは別ものです。

 

それまでには、書き終えて、1次稿が完成しているかな。

 

ところで、佛教大学OLCの秋講座の募集が始まったので、早速、全6日分を申し込みました。

村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』を読む講座

今までに、何度も受講している日高佳紀教授の「村上春樹を読む」のシリーズです。

 

 

他に受講したいものがありますが、そちらは1回だけのお試し受講をしてからです。

とにかく、基本、どの講座も見逃し配信が1ヶ月あるので、すごく受講しやすいんですよね。