釣りへ出かけて、たっぷりとその時を楽しむこと。それは、いつもの幸せの日常である。
船長や女将さんに別れを告げて、クーラーボックスを荷台に結んだ自転車を転がす。さてと、釣った魚はなんの料理に仕上げようかな?なんて考えながら、いつもペダルを漕ぎ進めるんだ。
そうして、行きつけのビアカフェへ寄り道し、クラフトビールを一杯ひっかけながら、たまったLINEの返信を済ませ、SNSのコメントを楽しむ。
PayPayでお会計を済ませ、今度は自転車を手で押し、歩いて自宅へ向かう。おっと、小ネギとシソを買わなくちゃ!と、近所のスーパーマーケットに寄ることも多い。家に帰ってからの買い忘れは、面倒なこと、残念なことこの上ない。
そうして、家へたどり着くやいなや、湯船に湯を溜めて、買ってきた野菜やら酒やらをそそくさと冷蔵庫へしまって、道具といっしょに風呂に入る。
竿やリールをねぎらいながら洗い、ハサミやナイフは手を切らないように注意しながら、洗剤できれいに洗う。おっと、リールにお湯はかけちゃいけないよ!油が流れちゃうからね。
最後は、スマホで音楽を流しながら、のんびりと湯船につかる。はふーーーーっ、ふーーーーっ、と。ちなみに、最近マイブームのBGMは、ankってバンドだ。
やれやれ、のんびり入り過ぎたと反省しつつ、道具を陰干ししてから、キッチンへ向かい前掛けを腰に巻く。よーし、いっちょやるか!と意気込むんだ。
まずは、缶ビールをプシュッと開けてから、クーラーボックスを覗きこみ、ニヤリ。そして、ひとまずクーラーボックスの蓋は閉じておく。
献立を決めて、魚には触らず、料理に使う野菜などの下ごしらえを進める。コレをいつも先に済ましておく。そうしてから、ようやく魚に手を出して、せっせと魚のウロコを落とし、下処理を進める。この段取りが、肴作りを一番手っ取り早く進められる気がしている。まあ、素人料理だから、慌てることはないのだけどね。何はともあれ、とっととイスに座って呑みたいのだ。
間があるごとに、缶ビールをグビッとやって、途中、魚の端切れに醤油を垂らして口へ運ぶ。皿に盛り付けた刺身より、この料理途中の刺身の方が何倍も旨く感じるのは気のせいだろうか?
そうして、料理を作り上げて、ようやくイスに座る。レモンをキュッと絞った焼酎の水割りを左手にたずさえ、釣ってきた魚に舌鼓をうつ。
こうして、
んーーー、うまいね、今日の魚も!となる。
そして、いつの間にか、本当にいつの間にか、寝てしまう。でもなぜか、必ず歯磨きだけは済ませて寝ているからそこはすごいと我ながら感心する。その眠りは、いつも爆睡で、はて、いつの間に寝たのだろうか?と翌朝の寝起きに振り返るのはいつものこと。
こうして、いつも釣りへ行ってきた夜は気絶し、翌朝、我にかえるのである。
......
いつも思ってきたことがある。
オレは、オレの人生なんざ、釣りを楽しみ、釣り人や船長らと笑い合い、釣った魚で酒を呑めればそれでいいと。それだけでいいと。
でも、今、少しだけ、我慢が必要な時がきたのかもしれない。
ちなみに、オレの住む街の船宿は、行政の指導によりこの週末の営業自粛を決めた。これが、今言うところの我慢の理由である。
我慢のモノサシは人それぞれだろうけれど、そこをどうこういうつもりはない。その我慢は、世の中の常識や情勢を鑑みて、大人の判断をするだけのことだから。
そういうことではなくて、これを機に日常というしあわせに改めて感謝することにした。
当たり前なことが当たり前にできる日常。釣って笑って呑める日常。そんな日常のありがたさをしっかり噛み締めておく時間にしよう。そう、決めてみた。平和ボケを治す、いい機会にもなるじゃないか。
愚痴をこぼしたり、文句を言ったり、人を批判したり、世の中をどうこう言ったりするのでなく、日常というしあわせを噛み締める。
いい機会じゃないかな?
いつも読んでます。いつも見てます。といった声を時々いただきます。またいつもの日常が戻ってきたら、魚釣って、料理して、グビグビしてるところをココに記します。
どーぞこれからもよろしくお願いします。
フィッシングライター 釜井 昌二