◆前回のあらすじ◆
前回——7月7日、七夕の再訪。
1ヶ月前に30分接客しただけの客を、Aが覚えているはずがない——そう自分に言い聞かせて席についた。
【「日本は初めて」】
Aは33歳。
マニラの近くの出身だと言った。
そして「日本は初めて」だと言った。
初めてにしては、日本語がうまかった。
妙にうまかった。
接客の言い回しがこなれていて、客あしらいに年季があった。
ふうん、初めてなんだ、と私は思うことにした。
この世界の「初めて」は、産地直送の「朝どれ」くらいの信頼度である。
ある日、何かの拍子に聞いてみた。
前は、どこにいたの?
Aはあっさり答えた。
あっさり答えるんかい、と思ったが、続く店名を聞いて私は固まった。
私の地元から30分の、隣町の有名店だった。
4時間かけて会いに来ている女性が、かつて家から30分の場所で働いていた。
私がZに通っていたあの頃、Aは隣町で接客していたのだ。
すれ違っていたかもしれない。
地元のスーパーで、駅前で、国道沿いのラーメン屋で。
人生の配線というのは、どこでどう繋がっているかわからない。
神様がいるとしたら、かなり性格が悪い。
Aの話を、もう少ししよう。
家族の中で働いているのはAだけだった。
小さい頃から働いていて、だから英語があまり得意ではないと言った。
フィリピンで英語が苦手というのはつまり、学校に通えなかったということである。
ホステスの営業スマイルの隙間から、一瞬だけ本当の人生が見えることがある。
こちらはそれに気づかないふりをして、次の乾杯をする。
それがこの世界の礼儀だと、私は思っていた。
そしてAも、お母さんのために働いていた。
Zと同じ言葉。
でもAの口から聞くそれは、少しだけ重かった。
◆次回予告◆
第6話「石鹸二万円と、一輪のバラ」——初めての同伴。
生涯の武器を手に入れた男が、帰り際に着地地点を見誤る。
この物語は全4部の実録エッセイです。
第1部・第2部は全話無料、クライマックスの第3部はnoteで公開しています。
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