カンボジア体験記の続きですクローバー

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◆地雷博物館
地雷博物館では想像していたものの数倍の大きさの地雷や、埋める形状ではなく木と木の間に地雷を紐でつなげて爆破させる形状のものなど何百もの地雷を見ました。また同時に木材で作られた義足などを見て当時の惨さを感じました。地雷を踏んだ兵士を他の兵士が助けているうちに、軍の勢力を弱まらせる戦法などの説明なども耳にして、地雷=あってはならないものには変わらないけれど、両親を殺害され、その後も地雷を強制的に次々と埋めさせていたというような話を生で聞く中で、被害者を多角的に見ることが大切だと感じました。
これはどのようなことであっても同じだと思います。自分自身の生活の中でもなるべく物事を多角的に見るように心がけています。
また地雷博物館を建設したのは、内戦時代に少年兵として過ごした10歳から20歳の頃までに自分の手で地雷を埋めた元兵士のアキ・ラ氏だということに驚きました。少年兵として実弾の射撃、地雷埋没などの訓練を強いられ悲惨な時代を過ごされました。自らの手で地雷を埋没する活動を行ってきたことから、これ以上の犠牲者を出さないようにという思いが込められているそうです。独学で英語や日本語を勉強し、また地雷撤去作業の他、ガイドの仕事をしながら資金を貯め、1999年に資金を投じ「アキラ地雷博物館」を開設したという流れを聞き、過去は悲惨で心痛むことがあったことは事実として変えられないけれども、強い意志を持ってこれ以上地雷で犠牲者を出したくないという思いに心が動かされました。今でも実際に行動に移し続け今でも埋まっている地雷の撤去活動や地雷の怖さを世界に伝える仲間を増やしています。その地道な努力もあり、カンボジアに政府認可のNGO団体「CSHD」を設立されました。
何事もまずは動いてみることが大切で、それが大きな力になりうる。
たくさんの仲間を見つけることができる。そう感じさせられました。

◆水上小学校
シェムリアップのトンレサップ湖には水上生活をしている人々が暮らしています。そこで生活されている方の訪問をしたり、水上小学校の視察をしたりしました。水上小学校に行くには船で渡る必要があるのですが、そこでまた忘れ慣れないことがありました。
船と言ってもエンジンなどはない小さな船。その船を操っているのは、小学生くらいの少年でした。
学校見学をしている際にその子のことが気になり、目を向けると悲しげに教室の外から、子どもたちが学んでいる姿を見ていました。
丁度同じくらいの年齢の子どもたちがイキイキと発言したりしているのをただただ見て、何度も船の往来のお手伝いをしていた彼を見て、「学ぶ機会」が平等ではない現実を目の当たりにし、同時に何もできなかった自分が不甲斐なかったのを覚えています。今でもカンボジアでは、学校は増えているものの学校に通う子どもの割合が少ないという問題があります。ポル・ポト時代に教育が破壊され、そのことが現在にまで大きな問題となり続けています。
カンボジアにとって、まだ当時の政権の影響は未だ残っていることを知ったことが
現在私が、日本語教師としての仕事に携わることに繋がったと感じています。
できることは微力ではあっても、教育というフィールドで子どもたちの将来を後押しできるような仕事がしたいと思ったからです。
まだ10年程度ではありますが日々、日本語学習者と共に成長できるように尽力しています。





🍀次回記事(カンボジアの爪痕Part3)に続きます
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英語コミュニケーション講座
講師  Stacy