今回は私が大学2年時に訪問したカンボジアでの体験をお話したいと

思います。当時、カンボジアは大学生の中でもあまりメジャーな訪問先ではなかったのか、よく友人に「なんでカンボジアに行くの?」と色々と聞かれたことが記憶に残っています。


なぜカンボジア?


世界遺産で有名なアンコールワットなどカンボジアには魅力的な歴史的建造物が多く存在します。しかし、私がカンボジアを訪れた理由は別のところにもありました。


大学2年生の時に『地雷を踏んだらサヨウナラ』という映画を見た際に、たった数十年、1970年の数年にわたり、恐ろしい内戦あったことを知り、もっと知りたい、知らなければならないという気持ちが芽生えました。


また、プノンペン陥落後、クメール・ルージュの指導者であるポル・ポトが人権を一切無視した政権を立ち上げたことによる大量飢餓、大虐殺があったことを知り現地に行って自分なりにもっと真実を知ることが必要だと感じ、カンボジアを訪れました。その経験を記したいと思います。


孤児院訪問


孤児院では様々な事情で身寄りがなく過ごしている状態でありながら、

子供たちは笑顔で迎えてくれました。


その中で、笑顔が全くなく、覚えたてのクメール語で話しかけても、何も反応がない。子供たちの遊びの輪にも入らない女の子に出会いました。

現地にいつ日本人の孤児院スタッフに色々と事情を聞きましたが、壮絶な人生を歩んできたことがわかりました。


私が孤児院にいれるのは限られた時間であり、何をしたらいいのか分からないというのが正直な思いでしたが、それ以上にこの子に少しでも生きる希望となる種、きっかけを与えたいと感じました。

それから、毎日新しいクメール語を覚えたり、その子の様子を見てお絵描きが好きだとわかったら隣で一緒に絵を描いてみたりしてみました。目も合わせることができず、話すことも難しい様子でしたが毎日、変わらずその子に話しかけたり、抱きしめてみたり、オーバーリアクションでその子に限られた時間の中で向き合うことを続けました。

あっという間に孤児院を訪れる最後の日となってしまいました。


その日もその女の子の様子は変わりません。彼女の傷を考えると無理もない。自分がしたことは少しでも彼女に響いたのかな。そんな気持ちで最後の日を過ごしました。

夕刻となり孤児院を後にする際、その女の子は初めて見送ってくれました。

それだけではなく初めて彼女から私にハグをしてくれました。


そして初めて私にはなしかけてくれました。「オークン (クメール語でありがとう)」

この言葉は一生忘れません。毎日距離が縮まらずどうしたらいいのか。私の接し方は彼女にとってどうなんだろうか。私自身も不安でいっぱいでした。

しかし、目には見えないけれども、はっきりとした絆を結べたことに涙が込み上げました。あれから15年以上経ちますが、彼女はどのように成長しているのかな。また会いたいな。そんなことも今でも時折思い出します。




🍀次回記事(カンボジアの爪痕Part2)に続きます🍀(毎週月曜日更新)

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講師 Stacy