トップというもの 20240622 | アテナの会代表 菱斐詔子のブログ

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みなさん、こんにちは。

 

 

 

今回のお話は、本来指導者と言われるトップが、指導者の本来を踏み外した場合から考えて、改めてトップという存在について、考察します。

 

 

ゆとり教育と言われて久しいですが、このゆとりというワードには、受け取られ方という部分で少々誤差や誤謬が伴い易いのではないかという若干の懸念を、トサカの辺りに感じます。

 

※この辺り

  ↓

   鳥
 

これまでに見た優れた社会においては、トップはある意味孤独であると思うのです。あまりに多く、くれくれと、既得権や利権・おこぼれ収集派に懐柔されるなんちゃってトップが居る傍らで、本当のトップというのは、天と己と社会の善に誠実です。口で言うほど、その在り方は楽では無いのでしょう。世の中は、そんなレベルの高い人間ばっかり、ではありません。

 

でも、トップに立つ者のベースが甘いと、例えば組織を維持発展させる過程で、周囲に迎合したり自分に無意識に甘かったりで、結果、自分と周囲とをいつからともなく破滅へいざなうことが、とても多いのです。
 

ロシアも、それに近いイメージです。

 

日本の政治であっても、くれくれちゃんの中で、市民によって長年築かれた財政的貯えを放縦に使い込みさせるような軍団に囲まれて、国や街を白アリ天国にしてしまうようなトップは複数いるようです。もちろん、白アリ自身は、厳に恥ずべきです。


 

亀の甲より年の功・・・かも知れないですけれど、昭和の社長というのは、そのあたり見所のある雰囲気の人が複数あったと思います。
 

そんな昭和の社長は、社長をやめた途端にキャラが変わることもあるなどします。良い意味で、社長時代は無理目に頑張っていたのだろうなあと、それを見て分かります。

 

しかしながら、そうした見所のある彼らが実際偉かった以外にも、そのトップを担ぎ上げていた側近も(どんなに少なく見積もっても最低限)、良い資質があっただろうと思うのです。タイは頭から腐るだけでは無いと思うのです。頭の周りから腐ることもあるでしょう。

 


 

再びですが、ゆとり教育というのは、言葉もミスチョイスだったかも知れません。
 

ただ単に、生まれてより、何処までも、『優しく甘いことだけを望み、または人に強要し、または思い通りで無い相手を恫喝し、または泣いて暴れてネット炎上荒らしまでもする愚輩の業には、やがておのずと、きっと恐ろしいゴールが待ちます。

子どもというのは、その邪な小人力が過度に台頭すると、どうしても低きに流れるというか、一部の生まれつき真に優れた人材を除いては、多くの場合、甘えて腐敗のほうへ自ら進んでいく傾向があります。

 

 

 

 

若い人を見ていると、ありがたい大切な物であってさえも、知恵や知力が十分に回っていないことが原因で本質を理解できずに、よって正しい道を選べないで、社会の大事なものを汚して壊すという人が実際多数居るのです。そうした問題を、昔は年長者などが止めてくれたように思いますが、今はそういう良い指導力を実現できる年長者がいない、とも言えそうです。ですが、覆水は盆に返らないのです。

 

そんな甘さは、本当の意味でタメになりません。わざわざ、頂点の方まで行って奈落に墜落する人を育む行為に繋がるかもしれません。パフォーマンスが派手ね、という話では済まず、現実問題として沢山の人を巻き込んで、傷つけていく結果になります。

 

そこで、先に述べた、トップの甘さが再び問題になります。現代は、分限が不適切な時代になってきています。たとえば、中にはもみ手コロリンな男や女とかも、居るわけです(理解を超えていますが)。そんな人が何かのきっかけでトップに居り、そして、取り入ってきた愚輩を甘やかした結果、「人や社会を害して財も富もそのもみ手(ドブ)にくれてやる」。そのようなトップになると、社会は、貯蓄や財貨も瞬く間に目減りするでしょう。

 

 

 

さらに、昔、情報というものは、今ほどまでに量が多く無かったために、一部の学識があり良識がある人に事実上管理されていた印象が否めません。それがいつからか、マスコミがヤクザカラーに傾いていき、紆余曲折した後にゲスな芸能ネタの隣人程度になった感じです。また現代は、どんな訳の分からない人でもネットに書き込むことで、昔のそうした人たちが良い効果を発していた行為と似たような行為をすることが出来るようになった反面、質が低下して、社会は堕落の様を呈することになりました。

 

商業ベースというのは、マズローの欲求5段階説に比して考えると、大衆的かつ道楽的かつ誰にでも安逸を貪れる、『レベルの低い物』が、一番買い手が増えて、売り上げの数字が伸びることになります。レベルの高いものなんか、書いても数字は伸びないことは、知っている人はとっくに知っています。数字を伸ばすためには、レベルを下げるのが王道です。セミナーなどでも、そのへんは、「ですよね」と語られています。

 

※マズローの図はこちら(リンク)

 

ピラミッド型が色分けされている、それぞれの階層の面積が売上や数字を示す、と置き換えて理解すれば良いです。

 

 

 

そのような性質のものを過信すれば、数字や金額を追い求める間に、高尚な方向とは遠ざかり必然的に汚染が広がっていきます。

これにより、”バズる”とか何か、を狙っている少年少女の運命は火を見るよりも明らかと言えます。

 

 

 

さて、結論ですが。優しいというだけの優しさは危険です。厳しさと強さが愛を伴って裏打ちされている様な、そういう優しさは、時間こそ要してもいつか確かな人を育てるように思います。

 

そのためには、トップがそれに続く側近も含めて、本当にしっかりしていることが必要です。そしてそれらは残念ながら、最近では見かけることが減ってきたものです。

 

ですが、トップに立つその人が助かるために、そしてその属する集団が助かるためには、それは本当に大切なことです。