ひとつめは、
何かを始めるのって、何歳からでも良いということ。
演奏後、時々質問される。
「何歳からフルートされてるんですか?」
12歳からです。
ブラスバンドでピッコロから始まりました。
と答えると、
殆どの方が、「そうですよねー!それくらい若い時から長くやってらっしゃるからこうやって演奏出来るのですね。」と仰る。
その時の私のリアクションは、
「いや、何歳からでも大丈夫ですよ!実際私も20年くらいのインターバルありましたし、大人になってから楽器に親しんで演奏を楽しんでらっしゃる方、いっぱいいらっしゃいますよ❣️」と、ほぼ100パーセントこう答えるのだが、
「この歳になってからは無理ですよ。今日はありがとうございました😊」と言って立ち去られる。
ヽ(´o`;
いや、違うから!
何歳でも大丈夫だから。
誰でも、今、が人生の中でいちばん若いんだから!
要は、本当にやりたいかどうか?
それだけだから。
私たちは、何時、何処で、
「諦める」を覚えたんだろう。
おそらく多くの人は、育っていく過程で、
「それはやってはいけない」とか
「もう遅すぎる」とか
「我慢しなさい」とか
「あなたには合わない」とか
「変だ」とか....etc
言われてトラウマになってる事が多いのではないか?
話少し飛ぶけど、
先日、表現アートセラピーの合宿で、
紙に等身大の自分を描いていく事をした。
画材は自由だったから、水彩を選んだ。
水彩は私が最も苦手とする?画材で
学校で描いても、みんなのように描けなかった。
物を見て、それをそのまま描写出来なかったし
そもそも そのまま描く事がつまらないと思った。
それでも描かねばならない。
作品には点数がつけられる。
成績が悪いと母が悲しむ。
せめて音楽と図画工作くらいは良い成績取りたい。
しかし、描けば描くほど、他の人と違うものが出来ていく。図画工作の成績はいつも悪かった。笑
そこで子供の私に何が起きたかというと、
「わたしは絵が下手くそである」という思い込み。
(成績悪かったしね。。)
いわゆる「お絵描きトラウマ」ってやつね。
自分は何も描けないという思い込み。
絵は絵が上手な人の分野のもので、自分には出来ないという思い込み。(楽器と同じ)
上手いとか下手とかは、技術的な差が大きい 。
ただそれだけの事かもしれない。
(そこに魂が乗るかどうかは別の次元の話。)
話少し飛んだけど、
先日の合宿では、等身大の自分を、
水彩で自由に描く許可を、自身に与えてみたの。
最初はどうしていいかわからない。
絵筆を持って描くのは、子供の頃以来だから。
「駄目」も「下手」も無い。
絵だけではなく、ダンスやドラマや声や楽器や、様々なアートを使って、自分自身の表現をしていくジャッジの無い安心でか安全な場所がある。
そこで、自由に心ゆくまで自由に書き殴っていったら、子供の頃の押し込めていた感情が蘇ってきた。
私は只、自由に色を使って好きに線を描いていきたかったんだ。
誰とも比べて欲しく無かったんだ。
真っ直ぐの線、曲線、いろんな場所に好きなように好きなだけ色を付けていくのが楽しい。
そうやって、自由に好きなところに色と線を付けたかっただけ、だったんだ。
その歓びがどんどん湧き出てきて、心いくまで自由に描いていった。
技術なんて関係ないの。
好きなことを好きなようにやりたかったの。
出来上がった絵は、私にしか分からない歓びがいっぱい入ってる。
こころが解けていく。
涙が出てきた。
描いた絵の上に寝転んでみた。
ただいま。いま帰ってきた。って思った。
長い長い時間、凍っていたものが、
水彩の水で溶かされて溢れ出す。
滲んでもいいし、競うものでもない。
なんて優しくて自由な空間なんだろう。
アートセラピーってヨガと同じだ。
争うものでも、競うものでも、ジャッジするものでもない。
その人の、その人だけの、大切な宝石がある。
自分を赦して、それでいいって抱きしめてあげる。
いま、ここにいる事を味わう。
そう、何歳からでもいいの。
制限なんて無いの。
誰かが何を言ったとしても、
それは誰かの思いと言葉であるだけで、
あなたのものでは無いのよ。
あなたにはあなただけの宝石があるのよ。
他の人の宝石で生きることは出来ないの。
少し変わった宝石でも良いじゃないか。
キラリと光って見つけやすいよ!

って、
午前中、思ってたんだ。
(思い浮かぶことのあとひとつは次回に。)
今日も読んでくれてありがとう。
うちできょうこ


