パパのあたらしいカノジョはかわってる。
すっごくカッコわるいんだ。
で始まる、この物語。
でも本心では、カノジョのことを気に入っているようです。
チューバを吹いて、詩を詠んで、座ったまま居眠りをするカノジョ。
サッカーもしないし、テレビゲームもしないし、クッキーも焼かないし、野菜ばっかり食べている。
スカートにスニカーを合わせ、野球帽を後ろ前にかぶり、髪の毛はヤマアラシみたいにぼさぼさ。
つまり…、通俗的の反対?
カノジョは、あたしの話をテレビを消して聞いてくれるし、秘密は秘密にしておいてくれるし、機嫌が悪いときに無理やり笑わせようとしたり質問攻めにしたりしない。
だから、今までのカノジョの中で、パパといちばん長続きしている。
ちょっといい線いっているかもね、とクールな女の子は言う。
しかし、パパのカノジョが次々変わるのって、子どもにとってはどうなのでしょう
「あたらしいカノジョ」と言ったら、三ヶ月くらい?
それでいちばん長続き?
あなたのパパのほうが変わっているよ、と言いたくなってしまう私は通俗的?