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H+13 ARCHITECTURE & ASSOCIATES

京都在住の週末ケンチクカ、H+13の活動ブログ。
建築とアート、時々水平式クレーン。

次は、嵐山のほうへ。


天龍寺
天竜寺

有名な夢想疎石の庭、曹源池庭園。
嵐山と亀山を借景に取り入れた廻遊式庭園。
とりあえずでかい。でも美しかった。
さすがです。


弘源寺
弘源寺



大河内山荘
大河内山荘



祇王寺
祇王寺




清涼寺

・・・以上。

応挙

やっとこさ、応挙と芦雪を見に奈良まで行ってきました。

人物画はあまり興味がないので、
さくって見て、好きな花鳥のコーナーに。

応挙の紅葉小禽図と芦雪の花鳥図。
よかった。
構図が。
余白が。
そして、色が。

で、なんか台紙みたいのが売ってたので、
買っちゃいました。
ホントは、花鳥図の方が欲しかったんですが、無くて。

で、芦雪の竹に月図。
こいつはやばい。
しぶい。
かっこよさすぎ。

やはり、建築もそうだけど、
俺は線的なものに惹かれる。
キョロロとか、三法院の廊下のとことか。
連続的な空間が断片的な風景を
見せてくれる感じが、たまらない。

最後の〆は、応挙の大瀑布図。
とりあえず、大迫力!
掛け軸に書く絵ではないです。

全体的に、かなり満足でしたが、
会場の奈良県立美術館は、ひどかった。
でっかい学校の廊下に置いてある感じ。
今までで一番のできの悪さです。


次は、大徳寺。


龍源院 こだ庭
龍源院

入ってすぐ左手あるのが、
最近Lマガの表紙も飾ってた、一枝坦がある龍源院。
方丈、唐門、表門が重文に指定されている。

写真は、東滴壺。壺庭の傑作と言われている。
重森三玲の元にいた鍋島岳生の作である。

建物と建物の隙間をつなぐ「マ」がデザインされている。
ポツリ、ポツリと落ちる雨粒が、
やがて、河となり、大海原になるという、クールな感じが気に入った。

この他にも、一枝坦、滹泥庭、龍吟庭などがあり、
それぞれ、個性があって面白い。
大徳寺の中でもオススメである。



興臨院
興臨院


瑞峯院
瑞峯院

キリシタン大名が帰依した大満国師を開山として創建された。
この写真は、十字架が隠されている閑眠庭。
重森三玲の作とされる。
コケの曲線と砂の斜線が、
よくある枯山水とは異なり、動的である。
他にも、蓬莱山式枯山水庭園の独坐庭も
ダイナミックで、力強い。



芳春院
芳春院

小堀遠州が作った呑湖閣。
二重楼閣で、金閣、銀閣、飛雲閣とならぶ京の四閣と言われている。

小さいながらも、それを感じさせないダイナミックな構成。
できれば、橋を渡って、二階から覗いてみたい衝動に駆られる。
ただ、鳥よけ?のテグスが張られていたのが残念。



大仙院
大仙院

の前の紅葉。
国宝だから、中は写真不可。



高桐院
高桐院

通称楓の庭。
紅葉があまり多くなく、寂しい感じはしたが、
それでもさすが高桐院。

入り口のアプローチはピカイチだし、
紅葉が細くて、可愛かった。
夏もまた来たいものです。

今年で三度目。
三度目の正直になればいいが...


現実を虚構化する住宅/虚構を現実化する住宅


TEPCO

内包される/する、イエ。

よく考えさせるいいお題だったと思う。
現実を虚構化するにしても、
虚構を現実化するにしても、
両者はきちんと現実と向き合ってはいないと思う。

前者は、おしゃれスポットなどを、
さもそうであるかのように、仕立て上げ、戯れる。
後者は、バーチャルな元ネタを、
現実に再現し、戯れる。
どちらも、同じであるが、アウトプットが異なるだけ。
現実と一元的にしか付き合えない人たちである。

私は、両者のようなイエを目指した。
ウチとソトが等価に存在し、
形や場所では無く、二つの関係性だけで成立するイエ。
それが、一元性をもって構成されているイエ。
そして、この両者のように、現れる様相が異なるイエ。

先週、母親が来ていて、京都観光へ

青蓮院
青蓮院門跡

見世物としては綺麗でした。
青の光って幻想的ですね。
浄土宗っぽいです。
相阿弥作と言われる、築山泉水庭。
小堀遠州作と言われる、霧島の庭。
があります。

お茶すすりながら、見る夜の築山泉水庭は、
なかなかよかった。
やはり、ろうそくの光は癒し系です。




高台寺
高台寺

有名な臥龍池の水盤に映る紅葉。
うまく写真は撮れなかったが、
とりあえず、美しい。
池の中に引き込まれるというか、
建築を放り込みたいという衝動に駆られる。

庭園は小堀遠州のもので、
開山堂、霊屋、傘亭、時雨亭がある。
台所坂もいいし、そこから見える
金色の八坂の塔も綺麗。

何回か行ってるが、見所も多いし、
やはりいいものです。




園徳院
圓徳院

北庭が賢庭作で、後で小堀遠州が手を加えたと言われる。
南庭は徳村宗悦。

ここは夜より、昼の方がいい。
あてる光が強すぎるし、暗くてよく見えないし。

枯山水なんだけど、池泉回遊式庭園なので、
ダイナミックで、力強い庭。

また昼に行きます。

無燐庵

七代目植治によって手がけられた庭。
庭は詳しく無いが、近代庭園の基礎を作った人と言われる。

平安神宮の神苑もそうだが、
作られた風景ではないので、
自然が置かれたようでいて、安心感がある。

無燐庵3

東山の借景を背に、疎水が流れている様子は
無限の広さを感じると言える。

こんな庭をもっていた山形有朋は
なんて贅沢なんだろうと思った。

無燐庵2

マンションの中庭ランドスケープ。
バラガンのように
何気ない風景に
軽やかな選択性を与えようとした。


朝、出勤する時、送りだしてくれる風景。
朝日を浴びた竹と鮮やかな赤茶と緑の対比。
中庭2

夜、帰ってくる時、迎えてくれる風景。
本実の壁とコをえがいた長いベンチ。
中庭1

風、光、音、影、色彩、自然。
ほんかに感じられるようにしたかった。

しかし、躯体の方の設計条件が
大幅に変わり、却下。
路地に続き、二回目です。
また、がんばりましょう☆




今日はフォリオの発表会がありました。
発端はハーバードではやってると言う流れから、
修活を迎える後輩のためにやろうかとなりました。

実際、うちの大学はまだまだ、歴史が浅く、
先輩方も少ないので、僕らの時はかなり苦労しました。
だから、少しでも役に立てればと。。。

意外と人数が多く、30人くらいかな~、いました。
久しぶりのプレゼンだったのでしどろもどろでしたが、
自分の作品を振り返ってみることができてよかったかなと。
あと、他の人が実はこんなことを考えていたとか、参考になりました。


たぶん、僕はモノを作ることに固執していたのだと思う。
ではなくて、その後作られる関係こそが目指すべきだと思った。
極論を言えば、それは建築でなくてもいい。
スタバのように、都市生活を豊かにするものや、
無印のように、生活空間を彩るようなものであるとか。

できれば、応挙の絵のように、伸びやかな余白があり、
人々が各々そこを埋めてくれる。
そんな関係が作れればと。

そう、まだ応挙と芦雪展を見てないから、奈良に行かねば。





ランスケ

今まで、ちゃんとしたランドスケープと言うものを
やったことはなかった。
それは、建築の延長でしかなかったり、
建築の付属品でしかなかったり、
残余空間でしかなかったりと。

ひょんなことから、
今、ランドスケープのプロジェクトを
二つやっている。
一つは、素材も含めたヒューマンスケールなもの。
一つは、何十haという都市スケールのものである。
全く違う二つのプロジェクトだが、
考え方は大きく変わらない。
どういう関係をもつべきか。これに尽きる。

建築にはモノを作る強さがある。
が、ランドスケ-プにはそれはない。
モノを作らないことが最善の答えの場合もある。
作らないことで作られる関係。
もしかしたら、僕が目指す定点はここにあるのかもしれない。


 
報道

この写真はイラク北部のタルアファールで、
米軍に両親を撃ち殺され、泣き叫ぶ子供の写真です。
米軍もまた自分の命を危険にさらしているのも事実でしょう。
やはり、いつも血を流すのは弱い市民ばかりです。

私は、何を考えればいいのでしょう?
こんなときはこの言葉を思い出します。
「あなたがなんとなく過ごした今日は、
 昨日死んでいった人があれほど生きたいと願った明日」

私ができることと言ったら、
広い視野に立ち、想像力を持って生きることかなと思います。
ホントに、両親と日本には感謝です。