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ゆめまち劇場 フィナーレ

 
一昨日になりますが、浅草六区 ゆめまち劇場、最後の公演[Gilles de Rais~ジル・ド・レ~]に行って来ました。浅草六区に生まれた「ゆめまち劇場」という本当に素晴らしい文化を身体中に浴びて胸が熱くなりました。音楽家、そして地元民としてこの劇場に幾度となく関われた事をずっと誇りにして行きたいと思います。
 

元々この場所は息子が幼稚園に上がる位まで毎日のように通った[ウルトラマン倶楽部]でした。我が家にとってはいわゆる”聖地”の様な場所。2006年5月31日の閉館は今でもセンチメンタルな思い出ですが、それから何年かしてその跡地に出来た劇場のミュージカル作品にお声掛けを頂いた時は何とも言えないウルトラな奇跡を感じました

○(%)o

 


 去年夏の[春夢共鏡]が僕の最後の参加作品になってしまいましたが、浅草のど真ん中からエンターテインメントを発信する幸せを味わえた事は僕の一生の宝物です。

こうして同じ場所で二つ目のグランドフィナーレに立ち会い、そこはかとない切なさと高揚感を胸に抱いての帰り道、ハイスクールキャンパス Vol.1[SUMMER SONG]のセリフが頭の中でこだまして消えませんでした。

「この劇場が無くなったらやっぱり寂しい。」

ほんとだね…。
 


皆さん、5年間お疲れ様でした!
ありがとう!!

 

 

 

30周年(執念)

1989年1月11日

 

30年前の今日、作曲家としてデビューさせて頂きました。(浅見浩平 名義)

自分の書いた曲に素敵な歌詞とオケが付き、当時メーカーイチ押しのアイドルの歌声が乗る。やがてLP,MT,CDの3パターンになって世の中に出て行くという夢の様な時間の流れにフワフワしながら包まれていたあの感覚は今でもすぐにリロードできます。

 

あれから30年。

 

いろんな事がたくさんあり、けっして順風満帆とは言えないながらも今日まで歌を、音楽を作り続けて来られた僕は本当に幸せ者だと思います。ゆっくり振り返って見れば物凄くたくさんの方々に鍛えられ、支えられ、繋がりを作って頂いてきました。今、僕が音楽家を名乗れるのはその皆様のおかげに他なりません。心の底から感謝しています。ありがとうございます!

 

予定では今頃世界中の高級リゾート地に超でっかいお城の様な別荘をいくつも持ち、1クール毎に銀行が破裂してしまいそうになるくらいの印税が振り込まれ、小学校の時の下敷きに載っていたスーパーカーを何台も乗り回している筈でしたが.......

 

形は違えどもこうして今日もメロディーを生み出せている生活は、それと同じくらい、いやそれ以上に幸せです。

 

これからもたくさんの笑顔に出逢うために、心を込めて音符を並べて行きますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします!!

PEACH FOR ALL ALL FOR PEACH

 

臣太朗さんとかみゆうの90分1本勝負。見届けてきました!

一大スペクタクル映画をまとめて10本観た日の夜に見る夢の様で、

本当に最高でした。

 

稽古場にお邪魔した際、冗談で「臣太朗さんはいつ頃作風を絞るんですか?」と振ってみたところ、苦笑いをしながらも割とまじめなトーンで「んん〜、全部俺なんですよねぇ...」と返ってきた通り、今回のハチャメチャも僕の知っている臣太朗さんの代表的なスタイルの一つで、素晴らしい仕上がりになっていました。

 

ただ、腹を抱えて笑いっぱなしでいればいいという様な安心感は全くなく、武器を持たない親友を一人で戦地に送り出す様なとてつもない緊迫感を客席の僕達は共有していました。最低限の音響と照明。セットは無く、衣装はグレーのスエット上下1ポーズ。百戦錬磨のかみゆうには失礼な話だと思いますが、始まってから暫くは、「噛みませんように」「飛びませんように」などと、祈る気持ちで観ていましたが、可能な限りの早口で効果音まで表現しながら、何もない殺風景な舞台に様々な光景とドラマを目まぐるしく描き殴っていく腕力のある芝居に、いつの間にか引きずり込まれていました。

 

「はい、ここで笑ってね」「ここでしんみりしてね」という無骨な演出は一切ないので、観客もかみゆうと一緒に謎の無人(?)島をグイグイ進んで行く様な一体感が半端なものではありませんでした。ある種アトラクション。みんなで一緒にラストに辿り着こう!といった感じで。

 

見事、89分24秒という超ニアピンなタイムで終演した時、僕は涙を流していました。自分でもそれが可笑しくて可笑しくて、飲みの席で臣太朗さんにあれは何の何ていう涙なのか尋ねてみたら「それが僕らの一番の狙いです。」と。

そして、「熱量ですよ。」と付け加えました。

 

それだ。

 

観劇中、「すごい汗だ」とか「よくあんなに動けるな」とか「そこまでやるか?」なんていうテキストはいっさい頭に浮かばず、ただただ神木優という一人の俳優が放つ、物凄い「熱量」を浴びていたという事です。

 

演者との冒険を楽しみながら受け続けていた「熱量」が、自分のキャパシティーを超えた瞬間、背中がゾクゾクして、目から涙がこぼれてしまった様です。

 

菅野臣太朗という怪物に勝負を挑んだ俳優。

神木優という可愛い後輩に容赦無く重いパンチを何百発も打ち込んだ脚本演出家。

痛快で清々しい最高な「引き分け」。

 

素晴らしい戦いを観させて頂きました。

 

かみゆう、臣太朗さん、

本当にお疲れ様でした!

 

二人を誇りに思います!!!