こんにちは。
笑顔と元気もお届けするプリザーブドフラワーのフローリスト山中淳子です!
今朝こんな言葉が頭に振ってきた
こちらフェイスブックに忘れぬよう投稿した記事
別に今そういった具体的な人がいるわけでも悩んでいるわけでもないけれど、こういうのよくあるなぁと思うのです
そこんとこ、忘れぬうちにメモしたので掘り下げていこうと思います
ここからは例え話です
“とある人”を『人として好きだな』『もっと仲良くなりたいな』『喜んでもらいたいな』と、相手の喜ぶ事をしてあげます。
それはそれは相手が求めていたことで『ありがとう』とすごく喜んでくれました
そしてどんどん仲良くなっていきます
この地点では“私”は自らの≪厚意≫での行動です。
それが幾度も幾度もなると、その“とある人”は『ありがとう』とすら行ってくれなくなりました
“とある人”にとってそれは≪あたりまえ≫になってしまっていたのです。
そうすると“私”は『せっかくしてあげていたのに』という風に思うようになります
そして≪不公平さ≫を感じるようになるのです。
まず“私”の立場で考えてみると・・・
≪厚意≫でしていたことが想像とは違う行動に相手がなってくると≪不平等さ≫を感じるようになる
だけど、“とある人”からしてみると・・・
嬉しいのだけど、別に頼んではいない。なんなら別にしてほしいとも思っていない
のかもしれない。
ここで心の食い違いが出てきますよね
これ、家族間でもいっしょだと思うんですよ。
家族のために毎日忙しく主婦業をするおかあさん
『私がしなくちゃ家族が困るでしょ』と言っている
でも、よくよく考えると家族から『してください』と頼まれたことは一度もない
私もお母さんの立場悲しいけれど、これが実は現実だったりする
結論は
する側は『ありがとう』を過剰に求めない。『してあげている』の上から物事を考えるのを控える。
される側は感謝を忘れない。
人間関係とは、その程よい相手へのリスペクトが大事なんだなと思うのでした