半田赤れんが建物 | プリザーブドフラワー Atelier Orangeraie Blog

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名古屋でプリザーブドフラワーのお教室「アトリエオランジュレ」を主催しております。レッスン、作品、日々の徒然などを気ままに綴っていきます。

  こんばんは~、湯川先生見終わりました~ドキドキ
毎週月曜日、楽しみにしておりますオランジュレです。
何をやってても、何をしゃべっててもカッコいい湯川先生ことましゃですぅラブラブ


とととっあせる本日レッスン日でした。
お一人の生徒さんがいらっしゃいましたが、完成してないので、後日写真撮ってアップしまーす。
最後の仕上げのとこだけなんですけどねっ(^_-)☆


さてさて、半田の旅、後半はまたもや戦争テーマですが・・・。
趣のある建物なので、お付き合いくださいませ。

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南吉の家からそうね、車で10分くらいかな。
赤れんが建物にやってきました。
なにやらイベント中です。

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半田赤レンガ建物/旧カブトビール半田工場です。
しかし、第二次世界大戦中は、
中島飛行機製作所の衣糧倉庫として使用されていました。

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この日はイベントの真っ最中でしたが、倉庫の左上にご注目くださいませ。
無数の跡がありますよね。

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昭和20年(1945年)7月15日、硫黄島からのP51小型機(通称:ムスタング)による超低空での攻撃を受けた跡なんです。
すごい数ですよね・・・しょぼん

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入り口・・・。
元々ビール工場なので、中はかなりひんやりしています。

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天井ショック!
とにかく、怖いΣ(~∀~||;)
雰囲気ありすぎますあせる

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オランジュレは、ビール工場っていうより、軍事的な雰囲気のが強い感じがしました。

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幻のカブトビールの宣伝。
この日はカブトビールの試飲があったようですが、既に完売してました。

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ココで飲めたっぽい。
ノスタルジックな雰囲気。

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建物南側。

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東側。
なにせ明治時代の建物ですからね。
素敵な建物ですが、壊れちゃわないかドキドキします((゚m゚;)

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明治時代に、カブトビールの工場として、戦時中は中島飛行機製作所の衣糧倉庫として、そして戦後は日本食品加工のコーンスターチ製造工場の一部として、1994年まで使用されていました。
その後半田市が譲り受け、現在登録有形文化財、近代化産業遺産として登録を受けています。


普段は入れません。
年に数回のイベント時にだけ、中に入れます。
なんてラッキーなんだろう、オランジュレ家クラッカー
そんなこと知らずにノコノコやってきたんだから。


外から眺めただけでも、雰囲気のある、何かしら訴えかける建物なんですが、中に入れてよかったです。
中の雰囲気、半端ないっすよ叫び
絶対夜無理です、ハイ(笑)


夏も涼しそうですけどね~、レンガのお家って涼しいんですね。
明治の建物なのに、戦時中の東南海地震でも崩れなかったですからね。
藁のおうちより、木のおうちより、丈夫なレンガのおうちです合格
ただ、今はもう耐震対策取らないと、微妙な感じを外からは受けますあせる
かなり年期を感じる建物です。

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この後、碧南の公園に行くのに、海底トンネルを抜けます。

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何度も通ってるはずなのに、海底トンネルなんて通った事無いっ!!という、記憶力の乏しい三馬鹿の為に、わざわざ、わざわざ250円払って通りました。
一瞬ですわ、一瞬ガーン
三男曰く、海の中見えないよ~だって・・・(-"-;A←見えたら死んでますってパンチ!


相変わらずの珍道中でした、オランジュレ家の半田への旅。←旅って大げさ
名古屋の戦争跡も、半田の戦争跡も、乏しいながらも記憶にとどめておいて欲しいと願う母、オランジュレでした。