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昨日のブログで書いた、仕事で新しい役割を与えられたことに関する観察になります。

 

 

 

まずこの役割の話を聞いた際、すぐに、わたしに出来るか、出来ないか という二元思考をしています。

そして、上司から壮大な感じのビジョンを語られ、それを具現化していく、一翼を担うということだけど

負荷が増えそう、責任も大きくなるかも、できればやりたくないなー という

マイペース、楽を貪りたい自我の反応がありました。

つまり、「未知」に対して渋る反応が起きました。

 

 

ゆかさんのこちらの記事↓から

 

 

「獲得⇔喪失」をスライドする、お馴染みの
獲得観点幻想=「既知」の体験を停止するには、
具現化創造を、「出来た」「取得する」等々
「自我の思い通りの果だけを受容する」という
「到達点を選択する=二元を選択する」

自我の意識のフォーカスを解除すること。

 

無限進化の具現化には「終」の概念はなく、

全創造は「プロセス」ルートに存在し続けます。

どれだけ「体験」を重ねても、それが全く同じ

二元の「表裏」を行き来するスライド構造では

「新しいタイムライン」ルートを創れません。

「果」ではなく、「新しい観点を使う体験」を

積層する「プロセス」を創造するのです。

例えば、これまで全ての現実の到来を

「わたしのやりやすいように」「マイペースに」

置き換えて、計画し直していたならば、

「わたしが思う通りではなく、到来のままに

すべて受容して進める」という「未知」の

プロセスを具現化すると、新しいタイムラインの

「道」が出現し、到達点が「無限化」します。

「思い通りの果を得る為にどうするか」ではなく

いかに「未知のプロセス=課題」を具現化し、

新しいタイムライン分岐を開拓するかが肝で、

それが「世界線」の変更へ繋がるのです。

「果」は、何でもいいのです。それは単なる

物質界の景色に過ぎません。そこではなく

どれだけ多くの「未知プロセス=課題」を

具現化し、超えてゆくか。目先の感情や

景色に惑わされず、必要な一歩を踏み出して―。

 

 

今回新しい役割を与えられ、まだ本格始動していないで何とも言えない部分もありますが

もちろん上司には、お引き受けします、と伝えています。

 

「できればやりたくないかも~」なんていう怠惰な自我はご健在ですから

おそらく、これが、仕事の範囲が決まっている派遣社員のような立場だったら、

引き受けてなかったかもなーとは思っています。

(今回は逃亡できず・・)

 

ビジョン・プロジェクト的なものの具現化の一翼を担う というある意味あいまいな表現ですが

一つやってほしいこととして、そのとき上司に降りてきている閃きだったり直感的なものを口頭で語る内容を

まとめる、ということは言われています。

 

これに対して、自我は、「めっちゃ頭使いそう~大変そ~」と思考しています。

なぜなら、上司の説明・発言は、長いわりに要領を得ない、というか要点がどこにあるのかがわかりづらく

話があちこちに飛ぶことが多いのです。

 

でもこれは、わたしの意識場の鏡であると捉えています。

セッションである観察した内容を伝えた際、細かい内容を延々と説明したら

説明を一通りきいたガイドが、詳細をぜーんぶ伝えて創造構造を相手に捉えてもらうようゆだねている説明であり、

「意識場がとっ散らかっている」と言いました。

 

上司はこのわたしの意識場の鏡であり、その上司が語る内容を書き留める、文章でまとめる役割というのは

「傾聴力」「認識の一致を図る」の鍛錬だなと捉えています。

 

絶対に(←断言)話の途中で、「何が言いたいのかわからん」「何、その○○って」という思考が出てくると思いますが

それらを掴まず、上司の話をイメージしながら最後まで聞く、流れに乗っていくをやり、

全体を観る、捉える ということをやりたいと思います。

(つまり、自我を下げ続ける ということ)

 

さらに、上司の話、説明は要領を得ない、要点がわかりづらいとわたしは反応していますが

「わたしにわかるように説明しろ!」という傲慢な観点があります。

これは、あらゆる場面で出てくる自我意識です。。

 

自分はその位置から動かず、相手に自分の位置まで来させようとする傲慢さ。

ではなく、相手の世界を知ろうと、自分の位置から相手の位置へと動く という動を放っていきたいと思います。

 

これらが「未知のプロセス」=「課題」を具現化して超えていくこと になるのかな、と捉えています。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました☆

それではまた~