杭州詩祭旅行③ ~2023平行詩歌節@天目里~ | 野村眞里子のブログ <オラ・デル・テ>

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12月31日(日)。今年一年の疲れが、中国に来て少しとれてきたかな? と感じる大晦日だった。というのも、前夜20時半に寝て、6時半起床という10時間爆睡をやってのけたから――。(笑)

 

ところで中国到着以降、私たちはあらゆるインターネットのサイトにアクセスできなくなり、SNSから隔絶された生活が続いている。メールも受信まではできるが、送信はすべてエラーになってしまう。唯一の例外は「ヤフージャパン」のサイトだが、やはり動画は見ることができない。

 

中国人スタッフが言う。

 

「ごめんなさい。今の中国では、LineもメッセンジャーもXもFacebookもYou Tubeも、何もアクセスできないんです。メールもほとんど使えません。つまり、私たちスタッフは先生との連絡方法がないんです。緊急の場合、どうしたらいいでしょう? 中国のLineかインスタグラムならアクセスできますが……」

 

聞いてはいたものの、習近平政権は自国民を完全に海外の情報から遮断したいようだ。

 

大晦日、朝食が少し遅かった。そして私たちの担当とは違う、別のスタッフが持って来てくださった。カフェ・ラッテとパンとフルーツ。それにしても、相変わらず量が多い。

 

 

 

 

 

そのスタッフからは特に午前中のスケジュールやランチのことを言われなかったので、少しのんびりと街の散策をすることにした。ただし、中国の車やバイクは車道であれ歩道であれ、ものすごい勢いで突っ込んでくるので、かなりの注意が必要だ。

 

とあるレストランに「人間・火」という少々怖い看板があったので――漢字検索で出ませんでした――、写真を撮り、後からどういうものかスタッフに聞いた。びっくりするほど辛い火鍋ということらしい。(笑)

 

 

 

 

 

散策後、詩祭のメイン会場に立ち寄ると、スタッフの王さんと詩人/カメラマンのヒョウさんがいらしたので、話したりいっしょに写真撮影したりした。

 

 

 

 

 

その後、夫と私は「軽いランチ」を食べようと「天目里」にある日本の居酒屋「山葵家」に入った。すると、スタッフの王さんがものすごい勢いでお店に入っていらした。そしてこう言った。「お金ありますか? 元ありますか?」

 

私がお財布の人民元を見せると、「よかった! 安心しました」と言って帰って行った。特に観光地でもないので、日本のクレジットカードはきかないのかな?

 

中国のレストランの注文は、ほとんどがQRコードを読み取って行うスタイルだ。だが私たちのスマホはうまくWi-Fiが使えない。そのことを「ポケトーク」でレストランスタッフに伝え、紙のメニューをもらった。でもすべてが中国語。(笑)

 

それでも何とか解読して、ビール、羊肉の串焼きを頼んだ。さらに、夫はオムカレー、私は肉うどん。このぐらい軽いランチだと楽だ。なお「山葵家」の味は、日本的なものと中国的なものが混ざり合った不思議なコラボレーションだった。

 

 

 

 

 

 

 

部屋で一休みをしてから、トーク会場となる16号楼へ。16:00~17:30に夫と、田原さんと、天水さんの3人が行うものだった。天水さんが次々質問し、野村喜和夫が答えたものを田原さんが中国語に訳し、さらに補足説明していくというスタイルをとった。そして、内容はだいたい以下のような感じだった。

 

 

 

 

 

 

●あなたはどのようなきっかけで中国を何度も訪れるようになったのですか?

●これまであなたが参加した中国の詩祭にはどのようなものがありましたか?

●日本と中国の現代詩の違いをどのように考えますか?

●あなたに影響を与えた詩人は誰ですか?

●あなたは日本で「しずおか連詩の会」の捌き手をしているそうですが、「連詩」とは何かわかりやすく説明してください。

 

会場を埋め尽くした人々――主に詩に関心がある大学生ぐらいの若者――はこうしたやりとりを非常に熱心に聞き、さらに30分間の質疑応答では手を挙げて質問する人が後を絶たなかった。観客とのやりとりまでは田原さんの細かい通訳が入らなかったのでよくわからないが、印象に残ったのは次の二つだった。

 

●(若い女性)私は詩を書いています。でも最近書けなくなりました。どうしたらいいでしょう?→(野村)僕もそういうことはあります。でも何も書けない時にこそ何かが生まれます。どうぞそれを書いてください。(場内爆笑)

●(若い男性)現代詩にとって「美」とは何ですか?→(野村)とても難しい質問ですね。でも言葉にならないような事柄を言語化できた時、そこには言葉の一瞬の輝きが現れます。それが「美」なのではないでしょうか。

 

このトークの模様は近々雑誌に掲載されるらしいので、ぜひそちらもご覧ください!

 

なお、トークのオマケとして、田原さんが急に夫に詩の朗読をするように言った。前夜祭に続き、またしても無茶振りだ。(笑)

 

夫はあわてて控室に飛んで行き、プリントアウトした詩の原稿を持ってきた。2003年にスイスの作家の家に招聘された際書いた、「街の衣のいちまい下の虹は蛇だ」だ。

 

この詩は、中国の「虹は天の蛇である」という伝説をふまえたものだ。言われてみれば、「虹」は気象現象なのに、虫偏がついている。そのことを夫が指摘したところ、観客が「あー、そうだ!」と言って納得したようだった。(笑)中国と日本――漢字文化圏のつながりを強く感じさせた出来事だった。

 

なお、この詩の少々珍しい詩形には――中央が長く、両端が短い――興味を持った方も多く、朗読後プリントをのぞき込もうとする人が多かった。

 

 

 

 

 

終了後、最前列の私の隣でトークを聞いていらした詩人、北島(ペイダオ)さんを交え、20時からの大朗読会――今回の詩祭の参加詩人全員が朗読する会――の前に早目の夕食を食べることになった。メンバーは、北島さん、田原さん、ラッパー風の風貌の若手詩人の反山さん、天水さん、野村喜和夫と私の6人だった。私たちが滞在しているアトリエ棟のすぐ向かいの地下にある中国料理のレストラン「リロン」で。相変わらずの直箸での食事だ。

 

食べ物の名前はわからないが、6皿ほどの料理とご飯、デザートをみんなで分けて食べた。スープは反山さんが取り分けてくださったので、一人前の量の写真。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、いよいよ6号楼での大朗読会「跨年詩会」だ。プログラムには29名の名前のみで、北島さんと夫の名前だけ書かれていない。「サプライズ登場」してもらうためだそうだ。

 

ミュージシャンの原子さんと流紫さんの演奏の中、次々に詩の朗読が行われていった。暖房のない会場は寒く、しかも椅子があるのは出演者のみで、超満員の観客はオールスタンディングだった。

 

 

 

 

 

1時間ほどたち、ついに夫の出番となった。私はビデオを撮っていた関係で写真までは撮れなかった。なお、朗読したのは田原さんがお気に入りの詩「そして陽のフーガ」と「(そして僕はきみを抱いて)」だった。田原さん訳の中国語版は、司会進行の女性が読んでくださった。

 

「そして陽のフーガ」は、夫としては自分の代表的な詩とは思っていなかったそうだが、田原さんに絶賛していただき、あらためて読み直したとか。すると、「黄砂」は出て来るし、「古びた陽」という表現が中国を思わせるかな? と感じたそうだ。本人としては、ボードレールの「旅への誘い」をふまえたようなところがある、と思っていたらしいが――。下記は冒頭部分の引用。

 

古びた陽、

とても古びた陽、

 

もうどこまでの、私たちは都市なのだろう、

果てしなくつづく枯れ草のような、

 

橋や扉の林立を抜けてゆくと、

古びた陽、

 

とても古びた陽があるという、

妹よ、私たちも行こう、

 

(野村喜和夫「そして陽のフーガ」部分)

 

休憩なしの2時間弱の朗読会だった。終了後は出演者と観客全員による大撮影会が行われ、さらに会場を出ようとする北島さんを追いかけてサインを求める人が殺到した。ツーショット写真にも北島さんが応じると、感激のあまり泣き出す女性もいた。

 

(中国では詩人はアイドル並み? いいなあ。)(笑)

 

控室に戻ると、翻訳アプリを使いいろいろな詩人が夫に話しかけてきた。とりわけ、日本が大好きという反山さんは毎年日本に来るそうなので、次回はエルスール財団記念館にもぜひ寄ってくださいとお誘いした。

 

ホテルに戻るため――私たちはアトリエに(笑)――みんなで歩いていた時、夫が「大晦日なのにずいぶん静かですね」とスタッフに言った。するとスタッフがそのわけを教えてくれた。

 

「今、中国では人が大勢で集まることができないんです。もちろん、外で騒ぐことは禁止されています。政府は何か騒ぎが起きるのを警戒しているのだと思います。」

 

私たちが40年以上前に中国を訪れた時、大晦日と言えば爆竹と嬌声がものすごかった。もう、そういう光景は見られないようだ。

 

北島さんの部屋で行う少人数の打ち上げに誘っていただいたが、中国語も出来ないうえ、1月1日は早朝から西湖へ観光に行くことになっていたので、私たちは辞退して部屋に戻った。(いろいろあった西湖のことはその4に続く。)