村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』読後感 | 野村眞里子のブログ <オラ・デル・テ>

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47回(1996年)読売文学賞受賞作品『ねじまき鳥クロニクル』。一カ月ほどかかり、ようやく3週間ほど前に全3部を読み終わった。写真は持ち歩いてボロボロにしてしまった文庫本。

 
 
 

 

 

若い頃と違ってゆっくり本を読む暇などない。だから、通勤や移動の電車の中でだけ読んでいたので、一カ月もかかってしまったのだ。さらにブログに何か書き留めようと思っても、ずっと時間がとれなかった。

 

(風邪で2日間寝込んでいたため、ようやく時間がとれたというわけ。)(笑)

 

この作品を読もうとしたきっかけは、「短編小説として完成していた作品が、どのように長編小説に変貌していったか」ということを確かめる個人的興味からだった。

 

私は短編の方は読んでいないのだが、当初この作品は「猫が逃げた」ことを題材にして書かれたものだったという。『ねじまき鳥クロニクル』でもこの題材はそのまま残され、4年半の歳月を費やして、3部作の壮大な作品へと広がっていった。

 

主人公は法律事務所を辞めたばかりの男性「僕(岡田享)」。彼は家事を担当し、妻「クミコ(岡田久美子)」は雑誌編集者として働く。周囲の反対に遭いながらも愛し合って結婚した2人の生活は、それなりに平穏に過ぎていた。しかし、飼っていた猫「ワタヤ・ノボル」の失跡をきっかけに何かが少しずつ狂い始め、ある朝「クミコ」は「僕」に何も言わず、いつもの出勤のように、荷物も持たず突然姿を消してしまう。「僕」は奇妙な人々との出会いの中で、やがて「クミコ」の失踪の裏に、彼女の兄「綿谷ノボル」の存在があることを突き止めていく。

 

大まかなストーリーは上記のようなものだが、主人公の「巻き込まれ方」「振り回され方」はハンパではない。自宅近くの井戸のある空き家――「首吊り屋敷」と呼ばれ、この家の住民は不幸な目に遭うらしい――の庭に入り込んだことから、事態はものすごい勢いで進む。

 

まず出て来るのが、「電話の女」。「僕」をよく知っているという彼女は、身分を明かさないまま電話をして来て、卑猥な話をしようとする。

 

次が、近所に住んでいる、高校に行きたがらない16歳の奔放かつナイーブな娘、「笠原メイ」。

 

占いめいたことをする「加納マルタ」と「加納クレタ」。「加納クレタ」は体中の痛みに耐えられず、兄の車で事故死しようとしたが死にきれず、多額の借金を負ってしまい、返済のため娼婦になった。その時出会った「綿谷ノボル」にひどく汚されたという。

 

そして、新宿西口の路上で出会った元デザイナーの「ナツメグ」と言葉を失った息子「シナモン」。

 

そこに、「クミコ」の父が会うことを結婚の条件にしていた占い師の「本田さん」――ノモンハンでの戦争に関東軍の下士官として従軍した――や、「間宮中尉」――深い井戸に落とされたり、「皮はぎボリス」に再会して絶体絶命の状況に置かれながらも帰国し、「本田さん」の遺産相続の件で訪ねてきた――、新京の動物園の獣医――「ナツメグ」の父親で顔にあざがある、不思議なことに同じあざが「僕」にも現れる――などがからむ。

 

「ナツメグ」によって「首吊り屋敷」で「客」を迎える仕事を与えられた「僕」は、物語が進むにつれて、中国大陸での出来事が自分とつながって来るのを、否応なしに感じる。

 

「彼(注:シナモン)はいつものように「客」を運んでくる。僕と「客」たちはこの顔のあざによって結びついている。僕はこのあざによって、シナモンの祖父(ナツメグの父)と結びついている。シナモンの祖父と間宮中尉は、新京という街で結びついている。間宮中尉と占い師の本田さんは満州と蒙古の国境における特殊任務で結びついて、僕とクミコは本田さんを綿谷ノボルの家から紹介された。そして僕と間宮中尉は井戸の底によって結びついている。間宮中尉の井戸はモンゴルにあり、僕の井戸はこの屋敷の庭にある。ここはかつて中国派遣軍の指揮官が住んでいた。すべては輪のように繋がり、その輪の中心にあるのは戦前の満州であり、中国大陸であり、昭和十四年のノモンハンでの戦争だった。でもどうして僕とクミコがそのような歴史の因縁の中に引き込まれて行くことになったのか、僕には理解できない。それらはみんな僕やクミコが生まれるずっと前に起こったことなのだ。」

(『ねじまき鳥クロニクル』第3部鳥刺し男編p.337p.338

 

幾つもの信じがたい出来事が生じ、「僕」は果たしてそこから無事に脱出できるのかとハラハラさせられる部分もある。でも、私は意外にも「僕」や「クミコ」にはあまり感情移入できないまま終わった。

 

むしろ、「脇役」の「笠原メイ」に癒された。「僕」が彼女から癒されたのと同じように――。

 

とはいえ、第2部の最後で、「僕」が市営プールで「クミコ」のことを思うシーンは、美しくも感動的だ。

 

ここを読むと、「第3部がなくともいい」と思う人もいるかもしれない。

 

しかし『ねじまき鳥クロニクル』は、秘密をまといながら第3部まで続く。この3部での私にとっての醍醐味は――異論もあるかもしれないが――、パスワードを見破って「シナモン」のコンピュータで「僕」が「クミコ」や「綿谷ノボル」とチャットをするシーンであり、「シナモン」が書いた文章を読むシーンだった。

 

もちろん、「僕」が巻き込まれる悪夢のシーンの迫力もすごいが、私にはあまり馴染めなかった。

 

物語全体に流れる「水」のイメージと「ねじまき鳥」のギイギイという鳴き声。それらは読み終わった今なお、残る。

 

蛇足ながら、わが家から45分のところに、この物語の舞台になったのではあるまいかと感じさせる袋小路と屋敷がある。しばらく前を通っていなかったので、今日にでも行ってみたいと思う。<了>