成功する人と成功しない人 | 境目研究家@ありさん。

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世の中色々な境目があります。成功する人しない人、うどんの関東ダシと関西ダシ、氣になる境目研究します。

【今日の良い言葉 722 (356)】

おはようございます。

今日も倉敷からの配信です。

今日は久しぶりの休日なので、
愛読している「致知」を
朝から拝読し、
ゆっくりとした時間を過ごさせて
頂きました。

それでは今日の良い言葉は
「致知」最新号より、
佐藤繊維社長の佐藤正樹氏と
八天堂社長の森光孝雅氏の
対談記事をシェア致します。

我々の作っている電子部品も
決して表に出るものではありませんが、
「私たちが世界の電子機器のもとを
 つくっているんだ」
という氣概は忘れないようにしたい、
とこの記事を読み心に誓いました。

皆様も、
お楽しみ下さいませ。

それでは今日も一日、
愛と光と忍耐で
喜びに満ちた日となりますよう
お祈り申し上げます。

コメント楽しみにしております。
 

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成功する人と成功しない人

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【佐藤】山形に戻って四、五年経った
頃でしょうか、
私はある糸に魅せられました。

これはどこで作ったのだろうと
問い合わせてみたら、
取り引きのあったイタリアの工場の糸だと。

自分のところにしかないオリジナルの糸
を作る上でヒントを得られるのではないか
と思った私は、イタリアに飛びました。

ちょうど世界の糸の最高峰と呼ばれる
ピッティ・フィラーティー展が
開かれていたので、
それに合わせて糸を作っていた
メーカーを訪問したのですが、この時、
私は大変な衝撃を受けたんですね。

人生の一番の転機になったのは
この時だったかもしれませんね。

【森光】どういう氣づきがあったのですか。

【佐藤】驚いたことに、
工場に並んでいたのは
我が社で使われているのと変わらない
機械でした。

その代わり、
どの機械にも職人たちが加えた
独自の工夫の跡があったんです。

ギアなどの部品を替えたりしながら、
独自の糸を作っているわけです。

工場長が親切な人で
「この糸を手に取ってご覧なさい」
と実際に糸を触らせながら、
この糸がなぜここまで美しくなるのか、
どうやって製造するのか
といったことまで、
実に細かく丁寧に説明してくれました。

私の目を見て熱く語る
工場長の姿を見ながら、思いましたね。

「ああ、俺たちはアパレルに言われるが
 ままに物作りをやっているけれども、
 それとは全く別の発想で生きている人だ」と。

そう考えていたら、工場長は
「私たちがファッションのもとを
 作っているんだ」
と力強く言うわけです。

この言葉も衝撃的でした。

だって日本でいう工場のイメージは
「これ作ってくれ」
「はい分かりました」
と黙って頭を下げる、
というものでしょう。

だけど、この工場にはそういう雰囲氣は
微塵(みじん)もない。

自信と誇りに満ち溢(あふ)れていました。

「物作りの現場から世界を変えていく
 ことは不可能ではない、
 自分もこの道を歩いて行こう」
と強く思ったのはこの時が最初でした。

 
【森光】日本に帰って、
すぐにそれを実行されたのですか。

【佐藤】ええ。早速社員を集めて
「俺たちも人から言われたものではなく、
 自分たちだけの糸を作ろうじゃないか」
と訴えました。

でも反応は冷ややかでしたね。

「社長の息子がイタリアにまで行って
 変な風邪に感染されて帰ってきた」と(笑)

いま思うと、
新しいオリジナルの製品を作るのも
大変でしたが、
それ以上にスタッフの心を変えていくのが
大変でした。

第一、私が言っていることが正しいとは
誰も思っていないわけですよ。

いままでの仕事で食べていけるから、
このままで十分という感覚なんです。

だけどバブルが崩壊し、
このままでいったら絶対にこのビジネスは
なくなるという危機感が
私にはありましたから、
ここは意地でも皆の意識を
変えないといけないと思いました。

【森光】そこをどうやって?

【佐藤】ある一人のベテラン職人を
粘り強く説得しました。

ところが彼の口からは
「これだからできない、
 あれだからできない」
とできない理由が次々に出てくる。

イタリアの工場長だったら、
そんな理由はいわないはずなのに、
と思うと腹立たしくもなりました。

いろいろな人と接していて
感じるんですが、
物事を成功させる人は
「どうやって作るか、
 どうやったらできるか」
という方法を常に考えています。

逆に成功しない人は、
できない理由を次々に並べ立てる。
これは要は
「作りたいか」
「作りたくないか」
という問題で、
うちのスタッフたちは全くつくる氣が
ないわけです。

「でも絶対に作ってもらわなければ困る」
という私の説得に応じて、
彼は渋々作り始めたわけですけれども。

それで三か月くらいした頃でしょうか、
彼が私の部屋に突然入ってきて、
無言のまま机の上にバンと
何かを置きました。

それが新しい糸だったんですね。

私も驚いて思わず振り返って
「できたじゃないか。凄(すご)いね」
と叫びましたよ。

入社以来何十年もの間、
言われたことしかしてこなかった
五十代後半の職人が初めて自分で
物を考えて、挑戦した。

そうしたらそれができちゃった。

五十代にして物を作る面白さに
覚醒(かくせい)したわけですね。

彼はいまも職人のトップですけれども、
もし彼が覚醒しなかったら、
いま頃会社はなかったかもしれません。

そこから二人での物作りが始まり、
今日に至っています。

佐藤正樹 (佐藤繊維社長)
森光孝雅 (八天堂社長)
 
 
月刊『致知』2014年1月号 特集「君子、時中す」より