前向きに受け止める(その二) | 境目研究家@ありさん。

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世の中色々な境目があります。成功する人しない人、うどんの関東ダシと関西ダシ、氣になる境目研究します。

【今日の良い言葉 721 (355)】

おはようございます。

今日も倉敷からの配信です。

今日は元旦から数えて355日目。
今年も後10日となりました。

世の中はクリスマスムード満点の
三連休ですが、今日も工事監督で出勤です。

「なぜ、自分はこんな目に遭うのだ!」
ではなく、自分を成長させる機会を
与えてくれているのだ、
と前向きにとらえていきましょう。

そして、後10を充実した日々と
して参りましょう。

それでは今日の良い言葉。

昨日の枡野俊明 [著]『心配事の9割は起こらない』
からのお話しの続きです。

お楽しみ下さいませ。

それでは今日も一日、
愛と光と忍耐で
喜びに満ちた日となりますよう
お祈り申し上げます。

コメント楽しみにしております。
 

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前向きに受け止める(その二)

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ある禅僧についての
次のようなエピソードが伝わっています。

修行の旅を続けている中で、
禅僧はひどいあばら屋で
一夜を過ごすことになります。

天井には穴が開いていて、
そこから落ち葉がまいこみ、
寒さをしのぐために床板を剥がして
燃やさなければならない、
という具合ですから、
禅僧がうら寂しい氣持ちになったとしても
不思議ではありません。

しかし、ふと見上げると、
破れた天井の隙間から煌々(こうこう)と
月の光が射し込んでいる。

その光が自分を包み込んでくれている
ことに氣づくのです。

そして、
「そうか、自分はいま、
 すばらしい時間を過ごしているのだ」
と禅僧は感じた。

それまで心を占めていた
うら寂しさは消え、
幸福感に満たされたのです。

あばら屋でやっと寒さをしのいでいる、
という現実は変わりません。

しかし、それを寂しいと感じる一方で、
幸福だと受けとる方向に
心を転じていくこともできるのです。

「なぜ、自分はこんな目に遭うのだ!」
という状況に立ったとき、
嘆きや怨(うら)みを募らせるばかり
ということになるかもしれません。

しかし、そうではなくて、
「ここをなんとか乗りきったら、
 ちょっとやそっとのことでは
 動じなくなる。
 なんとか踏ん張ってみよう!」
という前向きな受け止め方もできるのだ、
ということに氣づいて頂きたいのです。

「神は乗りきれない試練を
 人に与えることはない」

という言葉もあります。

そのときは押しつぶれそうな氣がしても、
八方塞がりだとしか思えなくても、
それは(あなたなら)乗りきれる試練だから、
あなたに与えられたのです。

そう考えることが、
心を転じていく契機になりませんか?

「いま」を変えていく
きっかけになりませんか?

違った方向が見えてこないでしょうか?

ひと皮剥ける、
という言葉がありますが、
そのためには困難や逆境を
くぐり抜ける必要がある、
と私は思っています。

つまり、
困難も逆境もひと皮剥けるための
格好のチャンスなのです。

むしろ、”歓迎”すべきものだと
いっていいでしょう。

生涯、市井の民とともにいて、
子どもたちに愛された良寛さんも
こういっています。

「災難に逢う時節には
 災難に逢うがよく候」

心には、必ず、
「転じる力」があります。

そのことを知っておけば
艱難辛苦(かんなんしんく)も
「なんのその!」です。

 
(枡野俊明 [著]『心配事の9割は起こらない』 三笠書房)


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