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本日は、日本人が精神教育という言葉に嫌気が差した原因を説明した後、武士道とは何かを説明します。
Ⅰ、日本の精神教育が崩壊した原因
日本人が精神論を嫌う理由
第二次大戦時、日本国の実権を握っていた、日本の軍部、官僚は、日本国民に武士道や大和魂と言った、わけのわからない精神論を叫ぶことで、国民を洗脳し、ドロ沼の戦争に突入しました。
無謀な戦争は、当然のように日本は負け、わけのわからない精神論で、心身とも疲れ果てた国民は、わけのわからない精神論に拒絶するようになりました。
また、戦後、もともと戦争に反対をしていた人たちが、軍部が唱えた精神論を完全に否定することで、自分たちの教育論を、戦後の教育に取り入れたため、日本の精神教育は崩壊しました。
では、軍部や当時の官僚たちが、国民に求めた武士道は、武士が社会を管理していた江戸時代では、庶民にとってどんなモノだったのでしょうか?
一、封建社会
江戸時代は、武士が社会を管理する封建社会です。
武士が、もっとも力がある社会では、士農工商と言う、身分制度がつくられ、庶民は制限された生活を強制されます。
しかし、江戸時代は、金さえ払えば庶民が、武士になれたのです。
でも庶民は、金を払ってまで、武士のような窮屈な生き方はしたくないと思っていたため、この制度を利用する者は、ほとんどいませんでした。
本当の武士が、社会を管理する時代では、下々の庶民に人気のなかった武士の道(生き方)を、第二次大戦時は、下々の国民に強要したのです。
国民が無意識に持つ、当時の心の傷が、精神教育を拒絶する理由です。
では、武士道とは何なのでしょうか?
Ⅱ、武士道
武士道とは、欧米で言う神学です。
神学とは、宗教、特にキリスト教において、その教理を体系化し、信仰の正統性や真理性、また、その実践について研究する学問。
欧米人で、エリ-トを目指す者、組織のリ-ダ―を目指す者ほど、もう一度大学に通い、神学を学びます。
それは、自分が責任ある立場となり、仕事に追われ、正しい判断が出来なくなったときでも、人として正しい選択が出来るリ-ダ―になるために、人としてのあり方をもう一度、自覚するためです。
武士道とは、太平の世で、社会を管理する仕事に就く武士に、人としてあるべき姿、精神論、価値基準を自覚させるため出来上がった、人の上に立つ人間への倫理学です。
第二次大戦時は、人の上に立つ人間への倫理学を、国民に強要したため、歪んだ精神教育となりました。
一、武士道とは、
武士道とは
死ぬことと見つけたり
二つ二つの場にて早く死ぬはうに片づくばかりなり
この意味は、武士とは、死ぬか、生きるかの、二者択一を迫られたときに、いつ死んでも良い選択をするだけだ、そのために、悔いのない生き方をしなければならない。
では、国を管理する責任ある立場の人間が、死ぬか、生きるのかの、二者択一の選択とは、どんなことを言うのでしょうか?
自分の働く組織で、農民が納めた年貢を、不正横領する上司がいれば、自分の立場を守ることよりも、命懸けでその不正と闘う行動力です。
戦争で敗戦が決まり、戦勝国が日本国や、その軍部を裁こうとしたときに、国民や自分の部下の命、家族を守るために、一人責任をかぶり命を投げ出すことです。
しかし、歪んだ精神を持った人間ほど、弱い立場のモノに武士道を求めますが、自分自身は責任回避をして生き延びようとします。
精神教育が崩壊した日本では、日本を管理するエリ-トや日本経済を支えている企業幹部ほど、組織の金を横領し、正しいことよりも利益重視の組織運営をします。
二、武士の教え
武士の教えとは、
私利私欲を戒め、質素を心がけること
公共性を重視し、弱い立場の人間に目を向ける意識
これは、人の上に立つ人間に必要な意識であり、人として当たり前のことです。
武士の教えとは、社会や民を管理する身分の武士に、人として当たり前のことを求め、それが出来ない者には、切腹をすることで責任を求めました。
世界を観ても、身分の高い者に、厳しい生き方を求めた、文明は存在しません。
三、武士の精神
武士の精神とは、独立自尊
独立自尊とは、何事も独力で行い、自己の人格の尊厳を保つこと。
人は、正しいことをしようとすると、私利私欲を満たそうと思うことも忘れるほど、集中して物事を考え、質素な生活になります。
正しいことを意識して考えると、身分や権力で相手を判断することがなくなり、逆に身分が高い人間や、権力を持つ人間ほど、その責任の重さを自覚させ、人間の品性を求めるます。
それが、自分よりも弱い立場の人間に眼が向くようになり、弱い立場の人間が住みやすい社会をつくるために、自分の出来ることを考えるようになります。
己の欲や感情に惑わされず、他人の意見にも振り回されず、自分の心を信じて生きた人間は、自己の人格の尊厳を保つために、自分の心に妥協をしない生き方をします。
四、武士道が示された理由
戦国の世では、武士とは、領地を守る殺しのプロ集団
太平の世では、武士とは、国や民を管理する、政治家、官僚、国家公務員
太平の世では、武士は生まれた時から、生活を保障されたエリ-トです。
戦がなくなり、命の危険がなくなり、生活の保障もされた人間は、暇な時間を持て余します。
暇な時間を持て余した人間は、自分の欲や情を満たすことを考えます。
人の上に立つ身分の人間が、己の私利私欲を求めては、たちまちそのシワ寄せは、真面目に生きている庶民に降りかかります。
太平の世で、人の上に立つ身分の人間に、人として当たり前のことを意識させるために、武士道と言う、武士のための精神教育が必要となりました。
五、精神教育
精神教育とは、自分の心に妥協せず、正しい行動が出来る人間になるために、人の意識の中に行動の規制をかけることです。
その根本となる行動規制が、私利私欲を追わない意識です。
正しい宗教、正しい教育であれば、すべてに共通する教えは、私利私欲を抑えることです。
武家の家系は、この私利私欲を戒める教育を、わが子が、幼いときからはじめるのです。
それが、躾です。
礼儀作法を教えることで、子供の頃から、人前では騒がない意識、欲しくても遠慮が出来る行動をとれる人間を育てます。
その幼少の頃に繰り返してきた行動規制が、物事を論理的に捉え、物事の本質を見抜く感覚に成長します。
次回は、日本の大人が、子供に人として大事なことを教えられなくなった理由を解き、武士道から人間の生き方を考察します。