検証、織田信長(精神教育の崩壊)その一 | 自己超越から自己認識への導きサロン

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みなさま、こんにちは。


本日は、検証、織田信長シリ-ズの最後、日本の精神教育が崩壊した原因を解き明かします。


私が、長々と織田信長を細かく分析した理由は、まさに日本の精神教育が崩壊した原因を、読者のみなさまに理解してもらうためです。


精神教育と聞くと、宗教的とか根性論とイメ-ジして精神の話を毛嫌いする人が沢山います。


しかし、私が歴史上、もっとも自分の精神的価値観に素直に生きた、織田信長を検証することで、精神性とは、超論理的な思考で、超現実主義の考えだと理解していただいたと思います。


では、なぜ、世界の中でもっとも精神的だった日本の文化が、今では精神という言葉を聞くだけで、毛嫌いする日本人が増えたのか?


日本の精神教育が崩壊した原因を、数回に分けて解き明かします。


本日は、精神とは何か説明します。





Ⅰ、精神とは


精神とは、物事を論理的に捉え、現実的に物事を考える意識です。


物事を論理的、現実的に意識するためには、自分の欲望や感情を超越して、物事を観ることが必要になります。


すなわち、精神とは、人の感情や欲望に惑わされない心となります。




一、信長の精神


織田信長は、明智光秀に本能寺で討たれる前に、朝廷に天皇よりも高い位を求めました。


しかし、この信長の暴挙は、天下統一後、信長が二度と日本には戻ることのない、世界へ向けての戦のために、信長は天皇よりも高い位を求めたのです。


それは、信長が占領した外国の土地で、信長軍の兵士たちが、モラルのない行動をしないように、信長は神になる必要があったからです。


信長が神になることで、信長につき従う兵士たちは、自分たちは神の軍隊だと自覚します。


信長軍の兵士たちが、われわれは神に従う特別な存在だと自覚することで、弱い立場の人たちに、慈愛の精神と慈悲の心で接することを意識させるためです。


精神性の高い人間は、自分の欲望や自分の感情を優先させることよりも、自分の目的を遂行するために、人の欲や感情を抑えつけた正義を自覚させる組織つくりを考えます。




二、アレレレレ


自分達は、神々の国の民族だと信じ、泥沼の戦争に突入していったのが、第二次大戦当時の日本です。


自分たちは、特別な民族だと勘違いした人間は、日本軍が占領した中国の国民に対し、酷いことをし、それが今でも中国人が日本人のことを恨む原因になっています。


ここで、ハッキリ言っておきますが、中国人が問題視する、日本兵による南京での大量虐殺はありません。


しかし、南京にいた日本兵が、中国の赤ん坊を空に放り投げ、それを槍で突き刺して、非道徳的な殺戮を楽しんでいたのは事実です。


何人を殺害したのかが問題ではない。


なぜ、殺す理由があったのか、そこが問題なのです。




三、正しい精神と歪んだ精神の違い


正しい精神を持つ人間は、自分が特別な存在、または、自分が責任ある立場になると、他の人たちの見本になるような、正しい行動を心がけるようになります。


しかし、歪んだ精神を持つ人間は、自分が特別な存在、または自分が責任ある立場になると、自分の力を誇示して、自分より弱いモノを従わせようとします。


歪んだ精神を持つ人間の精神教育は、日本は神々が住む国家なのだから、戦争に負けるはずがないと国民を煽り、国民は神風が吹いて必ず劣勢は跳ね除け日本は勝つと、非現実的な妄想を抱きます。


しかし、正しい精神を持つ人間は、今までの検証、織田信長シリ-ズで説明しているように、すべてを論理的に解釈し、超現実的に物事を思考するため、神や仏といった迷信は、まったく信じず、自分の出来ることを考えます。



正しい精神のリ-ダ-は、自分よりも弱い立場の人間に意識を向け、自分の言動に責任を持ちます。


歪んだ精神のリ-ダ-は、結果や自分の欲望に目が向き、自分の言動に責任を持たず、責任逃れをします。


そのため、われわれ庶民は、人の言葉を信じるのではなく、その言葉に隠された相手の人間性を見極めなければ、歪んだ精神の人間に心を振り回されることになります。





四、精神教育とは


精神とは、


○どんなに自分が窮地の状況に陥っても、自分よりも弱い立場の人間に意識を向け、行動が出来る行動力です。


○まともに考えることが出来ない劣悪な環境にいても、自分のやるべきことを把握する思考力です。


精神教育とは、人生のピンチをチャンスに変え、自分の逆境を楽しむことが出来る、まっすぐな生き方が出来る人間の土台をつくることです。



そのためには、人を育てる者、人を教育する者は、人(自分を含めた)の感情や欲望に惑わされない人間に成長をしなければなりません。


人は、自分が出来ないことは、無意識に反発をします。


それによって、真実から目を遠ざけ、自分を正当化します。


それが、人々が、精神という言葉自体を、毛嫌う意識になります。




五、精神と宗教の違い


精神とは、人の感情や欲望に惑わされない心だと言いました。


人の感情や欲望に惑わされず、常に正しいことを意識出来るのは、神を信じている人たちの心です。


自己の精神に従い生きている人間は、神を信じていないため、常に正しい行動はしません。


自己の精神に従い生きる人間は、自分の心の中にある正義に目覚めたときに、人の感情や欲望に惑わされず、まっすぐに生きていきます。


それは、金や物質的なモノに執着心がなく、己の正義に執着する心です。



人は、贅沢三昧の暮らしをし、好きなときに己の欲望を満たせる環境を手に入れれば、その生活に執着をし、その生活を手放さないために、自分はどう行動するのかを意識するようになります。


しかし、精神性の高い人間は、自分の正義に目覚めたときに、自分の築き上げたモノを簡単に捨て、新しい挑戦に取り組むことが出来ます。




六、風流師匠の場合い


私は、性風俗を自分で経営し、金には困ることがなく、己の欲望を満たすことが出来る環境を手に入れていました。


しかし、自分の心の中にある正義をつ貫くために、その築き上げたモノをすべて捨てました。


それは、自分にとって当たり前のことを妥協してまで、金儲けをしたら、自分が自分でなくなり、自分のことが嫌いになると強迫観念に襲われ、発狂しそうなほど、嫌な気持ちになったため、生活の安定を捨て、茨の道を選びました。


この、自分にとって、当たり前のことこそ、親に教育された価値観です。



私の行動に対し、人々はもったいないことをすると言います。


人々のこの言葉でわかるように、普通の人間は、正しいことよりも自分の生活の安定を求めます。


その意識が、バレなければ、悪いことをして金を儲けてもいいじゃないかとか、金を稼いだ人間が勝ちだと言う人間の歪んだ意識に拡大します。


だから、欧米人は、神を信じることで、正しいことを正しく意識出来る人間関係、社会環境をつくろうとします。


特定の神を信じる文化のない日本には、恥の文化がありました。


目先の金や己の欲望を優先する人間を、恥さらしと考える文化がありましたが、神を信じず、羞恥心もなくなった国家は、何が正しくて、何が正しくないのかがわからなくなり、真面目な人や弱い立場の人間ほど、生きることに苦悩する社会になります。




宗教心もない、高い精神性もない、そのため正しいことを見ることが出来ない人間に、どれだけ正論を語っても、馬の耳に念仏です。


ならば、歪んだ精神の人間に心を振り回されない、精神性を養う生き方を、現代人は求められてるのだと、私は確信します。



次回は、武士道を語ることで、日本の精神教育が崩壊した、流れを説明します。