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本日は、現代社会の大人が、子供の育て方がわからなくなった原因を解き明かします。
そして、欧米と日本の文化の違いを見分け、どんなに文化が違っても、共通する価値観を示します。
Ⅰ、大人が子供の育て方がわからなくなった原因
現代社会は、子供の育て方がわからないと悩む大人が増えた社会です。
子育てとは、親が子供に物事の善悪を教え、善の価値を追い求める、正しい精神を持つ人間を育てることです。
では、なぜ、子供に物事の善悪を教えなければならないのでしょうか?
それは、
○わが子が、他人に迷惑をかけることのない人間にするため
○わが子が、生きることに苦悩することのない、人生を歩ませるため
そのために、人は、正しい精神が必要です。
一、正しい精神
正しい精神とは何でしょうか?
それは、
○私利私欲を戒める心
○弱い立場の人間に、眼を向ける意識
この心と意識を養う子供を育てるためには、子供を育てる親の今までの生き方が、問われることになります。
二、親の責任と社会問題
現代社会の問題のひとつに、人間の生き方の問題があります。
それは、
○己の欲望を満たすために、見ず知らずの人を、平気で殺す人間が増えた問題
○真面目に生きているのに、生きていることに心を苦悩する人が増えた問題
これは、すべて、子供を育てた親に原因があります。
三、躾と虐待は紙一重
躾と虐待は、紙一重です。
躾とは、親がわが子を、他人に迷惑をかけない人間に育てるために、親が厳しく子供に接し、物事の善悪を教えることです。
虐待とは、親が己の感情で、子供に接することで、子供を自分の言うことをきく、人間に育てることです。
親の感情で育てられた子供は、親の顔色を伺います。
世の中を悲観する人間に育ち、それが生きることに苦悩する心となります。
親の前では親の好む人間を演じ、その鬱憤を、自分よりも弱い生き物に向ける人間となります。
四、躾とは、
躾とは、親の人間性です。
親は、日常のストレスを抱えながら子供を育てます。
そのため、自分の思い通りにならない子供に手を焼き、ついつい感情的になりがちです。
躾の行き届いた子供とは、親が己のストレスを抑え、一貫した物事の善悪で、子供に接することで、どんなに厳しい躾をされても、子供の心は萎縮しません。
親が、わが子を可愛がって甘やかしたいと思う気持ちを抑え、わが子が他人に迷惑をかけない人間にするために、心を鬼にして子供を叱ることです。
躾とは、親が己の欲求や感情を抑え、子供に接したことで、精神の発達した人間を育てることです。
子供は、物心付く前から、己の欲と情を抑え、一貫した善悪の基準を持った人間と接することで、健全な精神を宿します。
五、なぜ、躾が出来ない?
では、なぜ、現代社会の親たちは、子供を育てることに悩み、子供を躾けることが出来なくなったのでしょうか?
理由は、簡単です。
私よりも上の40代、50代の人々は、親からしっかりと躾を受けた人々です。
子供の頃は、私利私欲を戒め、弱い立場の人たちに眼を向けることが出来た人たちです。
社会や人々のために貢献が出来る仕事がしたいと、胸膨らませ社会人になったにもかかわらず、会社からは利益になる仕事を求められた人々です。
歪んだ社会に心を汚されていないが、まだ力のない若者が、組織で正しいことをしようとすると、上司から社会がわかってないと罵倒されます。
利益を優先する社会では、親から教えられた価値基準が通用しないことを痛感し、社会は何が正しくて、何が正しくないのかわからなくなります。
その結果、自分が子供を育てるときに、子供に何を教えれば良いのかがわからなくなってしまったのです。
Ⅱ、精神と宗教
日本人は、宗教を心の拠り所と考えます。
しかし、欧米人にとって、キリスト教は、精神的支柱です。
人間とは、弱く愚かな生き物です。
そんな人間に、生きることに勇気と希望を持たせるためには、精神的支えが必要となります。
自分の心に妥協をせず、目の前の逆境と立ち向かう人間になるためには、自分の生き方に自信が持てる人間でなければ不可能です。
キリストの教えを守り、キリストの求める生き方を実践した、日々の積み重ねが、自分の生き方の自信となります。
これが、精神的支柱です。
一、教育
○キリスト教国家の人間教育は、
第一に、子供に正しい価値を洗脳する
第二に、正しい行動を繰り返しさせる
最後に、正しい価値と正しい行動を意識する日常の積み重ねから、健全な精神が宿る人間に成長します。
○自律した精神を持つ民族の人間教育は、
まずは、親が子供に健全な精神を宿す躾をする
健全な精神を持った人間が、自分の心に妥協をしない生き方を積み重ねることで、正しい価値を追い求める人間へと成長します。
○健全な精神とは、私利私欲を戒める心
○正しい価値とは、自分よりも弱いモノのために、自己を犠牲にする精神
健全な精神を持つからこそ、
人を傷つけてまで、己の欲望を満たすことをしない人間になります。
正しい価値観を知るからこそ、
自分よりも弱いモノに意識を向け、自分よりも弱いモノたちのために自分は何が出来るのかを考え努力が出来ます。
健全な精神と正しい価値観を持つ人間は、
満たされない自分の現状を嘆く暇があるのであれば、それを改善することに時間と労力を費やすことをします。
二、権力と富
権力と富とは、人の心を変えてしまう恐ろしいモノです。
権力と富を手に入れると、人々が自分に気を使い、欲しいものが何でも手に入ります。
それが、自分は偉い人間になったと錯覚をしてしまうのです。
人は何もないときほど、理想を語り、人々への労わりの言葉が言えます。
しかし、権力と富を得た瞬間に、人間はその力を守ろうと意識したり、自分の周りの人たちのシガラミから、正しい決断が出来なくなり、精神が歪むのです。
○人間の愚かさを知る西洋思想
キリスト教国家が、子供にキリストの価値観を洗脳し、人々にキリストの教えを実践させるのは、人間が権力や富を手に入れたときに、その力を社会や人々のために使うことで、幸福感を得ることが出来る人間に育てるためです。
正しい価値を意識し、正しい行動を実践した日々の積み重ねが、神への奉仕活動に価値を求める心を育み、己の権力を正しいことに使うリ-ダ-の精神となります。
○物事の本質を知る自律した精神民族
物事の本質を知る人間は、巨万の利益を上げる組織をつくるには、正しいことが正しく出来る環境をつくり、自分達の仕事を通じて、従業員が正しい精神を養う仕事が出来る組織をつくることだと知っています。
そのため、自律した精神を持つ人間は、どれだけ権力や富を得ても、それに溺れることなく、常に新しいことに挑戦をし、物事に妥協をしない人材育成に取り組みます。
二、自律した精神の本質とは?
自律した精神の本質は、
秩序ある人間社会を形成するための本質です。
それは、他人の評価はどうでもいい。
自分の心を妥協して生きることは、頭が狂うほど嫌な気持ちになるから、自分のすべてを犠牲にしてまで、自分の正義を貫く生き方をする、ただそれだけ。
それは、
キリスト教の自己犠牲の精神ではなく、
己の尊厳を守るための、独立自尊の精神です。
己の精神性を重視する人間は、
己に厳しく、他人にも厳しい、非情な心の持ち主
その思考は、
常に自己中心的。
しかし、その価値観は、
私利私欲を戒め、自分よりも弱いモノを守るための行動。
究極の自己中心人間は、己の感情や欲望を超越した意識を持つ自己超越者。
それは、自己以外の制約を一切受けずに存在する、無制約者。
キリスト教の文化から発展した、多くの観念論哲学・神学などにおいて、「神」は、無制約者とされます。
すべての宗教観を超越した感性を持ち、西洋思想も、東洋思想もなく、すべてに共通する価値観、それこそが、自律した精神の価値観です。