秋の夜長の精霊たち           山の上の神社と地域猫 | 黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

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世間からかなりずれている管理人、黄昏黒猫堂こと黒猫が自作人形やイラストを発表しつつ、ニート、ひきこもりなど生きずらさを考える。(画像一覧で作品を見ていただけるとうれしいです。)

 

秋の夜長の虫の声

鈴虫松虫かねたたき

精霊たちも耳をすまします

 

(画像と本文は直接の関係はありません)

 

 

 10月1日(土)、栃木県佐野市の唐沢山(241m)に行ってきました。見た目は田んぼの向こうの何の変哲もない低山ですが。その頂上に唐沢山神社という大きな神社があって、その広い境内には何十匹という地域猫たちが住んでいて、猫の神社として知られています。

 家から85kmを排気量110ccの小型自動二輪のスーパーカブ110プロで走り、麓の小さな駐車場に停めました。神社まで道路が通っていて、広い駐車場もあるのですが、そこはライド&ハイク、麓から登山道で頂上の神社に向かいます。

 樹林の中の山道、あまり人が歩いていないのか、道に蜘蛛の巣がはっていました。見かけと裏腹に斜面は急峻なのですが、登山道は斜面を直上せず、斜めに道を切っているせいか、とても歩きやすい道でした。コース図では神社まで50分ということですが、さほど時間はかからないなと思いながら歩いていると。

 30分そこそこで頂上の神社の境内に出ました。さっそく猫が。人馴れしているのか、近づいても逃げることもなく、悠々とした感じで石のベンチの上でくつろいでいました。

 目の前まで近づいても気にしないで、参拝客からもらったのだろう餌を食べていました。なででみようかと思いましたが。食事中なので遠慮して先に進みます。

 小さな山と思っていたら、頂上部は広々としていています。それもそのはず、ここは戦国時代に関東でも屈指の山城で、佐野氏という小なりとはいえ戦国大名の居城で、上杉謙信でさえ攻めあぐねて戦国を乗り切ったのです。江戸時代にはいってすぐ、政治的な理由で佐野氏は大名の地位を失いましたが、3千5百石取りの大旗本として存続して、やがて明治維新をむかえます。その間、唐沢山城は廃城となって打ち捨てられていました。

 唐沢山神社の拝殿です。ここが本丸のあった場所です。佐野氏は平将門の乱で将門討伐に功績のあった藤原秀郷、異名は俵藤太(たわらのとうた)の子孫で、明治になってすぐに、先祖の藤原秀郷を祀る神社を作りたいと政府に嘆願したところ、かつての居城に、しかも破格の格式で神社を建てることをゆるされたとのことです。そして城跡は佐野氏の先祖の藤原秀郷を祭神とする神社として蘇りました。

 本丸の石垣跡。難攻不落の城だったことを思わせます。現在も城の遺構は数多く残り、神社としても立派な神社なのですが、古城としても見事と感じました。ああ、そうそう、ここの売りは何といっても、神域(城跡)を住み家とする地域猫たちですね。

 展望台近くの石の下にいた猫。とてもおとなしくて、なでても嫌がる様子もみせず、この場所でくつろいでいました。ここで4匹の猫に出会いましたが、どの子も悠々と暮らしている感じでした。神社(城跡)の遊歩道やお店の近くをくまなく歩いていると、かなりな猫と出会えるそうですが、この日は寝坊をしたうえ、秋の日は釣瓶落としで、あまり長居もしていられませんでした。

 見晴らし台から見た関東平野。秋晴れの日で、ぽっかり雲が浮かんでいました。

 登ってきた登山道を下って麓の駐車場に。このすぐ近くに露垂根神社という、こじんまりとした神社があり、お参りを。この神社、かの藤原秀郷が建てた神社とのことです。平将門を討ち取った豪傑は明治になって、自分が神として祀られるなんて思ったでしょうか。

 

 

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