幻想蝶が誘う夢の世界
夢かうつつか
醒めればよいのか
醒めねばよいのか
(画像と本文は直接の関係はありません。)
どうしようもないわたしが歩いている
大正から昭和初期の放浪の俳人、種田山頭火の代表的な句で、僕はこれが好きだ。ほんとうにどうしようもない人が、どうしようもなく歩いている。堅気で生きたくても、どうにもできなくて、どこまでもだらしない。それでどうしようもなく旅の途上で呟いてみたのが、
どうしようもないわたしが歩いている
僕はこの句にどれだけ救われたかわからない。命の恩人と言ってもいくらいだ。応援歌的に、「頑張ろう!」と言われてもなあ。これができないんだなあ。「頑張れる」くらいならとうにがんばってるしねえ。でも、「どうしようもないわたし」となると、何故か自分が愛おしくなる。「頑張って」立派になる自分は何かイメージがわかないし、まあ、できないし。「どうしようもなくてもいいじゃないか。オレもどうしようもないからさあ。」と山頭火が言ってくれているようで、心がやすらぐ。それで、
しみじみ食べる飯ばかりの飯である
この句となると、梅干しひとつない米だけの弁当を峠で頬張っているのだから、山頭火さん、峠の青空に突き抜けているような感じがする。否定も肯定もしない。ただ歩いていくだけ。それでいいと思う。
ああ、そうそう、今また歴史ものの小さな物語を書いてます。コンスタンティノープル陥落という大きな舞台を題材にしました。
で、大丈夫か?
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