死ぬときには死ぬのがよろしかろう | 黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

世間からかなりずれている管理人、黄昏黒猫堂こと黒猫が自作人形やイラストを発表しつつ、ニート、ひきこもりなど生きずらさを考える。(画像一覧で作品を見ていただけるとうれしいです。)

 

この週末、癌の後遺症で体調は思わしくなく、気分もだだ下がりでした。昨夜もあまり寝られず、今朝は疲労からくる抑うつ状態がひどかったです。世相も騒然として、疲れた神経を刺激されて、気分はどこまでも重苦しくて、もう何もやりたくない。誰とも会いたくない。いっそ雲隠れしてしまいたい。いっそ海の底に深く沈んでしまいたい。そんな気分でしたが、それでもなんとか出勤しました。もっと悪い状態の時に休めるように、できるだけ休まないようにしないと。癌の後遺障害を抱えながら働くのは苦しいことばかりです。

時々、自分の免疫系はどんな状態なのだろうと考えます。今のところ抗がん剤や放射線の治療を受けているわけでなく、後遺障害の治療を受けながら、転移の検査を受けているだけですが、肉体的負担を考えるとまともな状態ではないだろうと思います。なにしろ、ちょっとしたことで椅子から転げ落ちてしまうのですから。日和見感染症で死んでもおかしくないか、と思うこともあります。

日和見感染症とは、人の免疫力が低下した時に、通常は無害、または病原性の低い細菌やウイルスが劇症な疾病を起こすことで、高齢者、癌患者、重度の怪我や火傷を負った人などが発症します。人間は無菌室で生きるものではないので、僕は自分の免疫系が生命を維持するレベル以下になった時が寿命と考えています。癌の後遺障害から日和見感染症で死ぬならば、それは癌で死ぬことであり、それが自分の寿命だと考えています。無菌室で延命させるなどと言われたら断固拒否します。「この十年をどう生きる。」、それが僕のテーマです。

僕がこういう考えに至ったのは、かつての鬱病の闘病中に良寛和尚の言葉に出会ったことが大きいと思います。

 

苦しむ時には苦しむのがよろしかろう。死ぬときには死ぬのがよろしかろう。

 

 それ以前にも歌人としての良寛がとても好きだったのですが。この言葉にはとても救われました。あらためて良寛に関する本を読み込みました。子供と一緒に手毬をついて遊ぶことが何より好きだったお坊さんの言葉です。「死ぬときは死ぬのがよろしかろう。」といえるように、この十年を生きてみたいです。もっとも、十年以内なのか、十年をはるかに過ぎるのかは、知るすべもありませんが。

 最後に良寛和尚の手毬の歌を一首。

 

つきてみよ ひふみよいむなや ここのとを とおとおさめて またはじまるを

 

 永遠に終わることのない手毬唄。この歌のように人形やぬいぐるみを作りたいです。

 

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