あたふたしてみました

あたふたしてみました

もしくは、どぎまぎしてみました

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気になることがあれば、行きたくなるのが人情というものです。

「ねぶた祭りはどこでやっているのですか?」

その人は、青森でねぶた祭りをやっているということは知っているのですが、詳細に青森のどこで開催されているということは知りませんでした。早速観光協会に電話をかけます。

「ねぶたでしょうか、ねぷたでしょうか」

そこでまた閉口してしまうのです。


判断の分かれるちょっとした政治に関する話題になった時、必ずこういうことを言う方がいます。

「国民的議論が尽くされていない」

非常に使い古された言葉だと思うのですが、生まれてこの方「国民的議論」に参加したことがないのです。しかし「偉い」人がいうセリフですから、どこかでやっているのに違いがありません。

「国民的議論はどこでやっているのですか?」

やはり問い合わせないことには参加すらできません。


「そうですね、深夜にテレビでやっているあれですね」

サッカーを見るたびに思うのですが、このルールはとても秀逸であると感じるのです。

・オフサイド

サッカーを知らない人には何のことかわからないと思うのですが、見れば必ず本タイトルのようなセリフを言ってしまいます。このルールがあるからこそサッカーが難しく、かつ面白くなっているのだと思います。一方でオフサイドがなかった頃のサッカーは何とも味気ないプレーになっていたのではないかと想像します。

「ゴール前で待っている人にポンポンボール蹴るのは、何て言うか、あれじゃないのか?」

こうしてオフサイドのルールは決められたのだと思います。


更にサッカーを面白くするルールを今から考えられないでしょうか。

・フリーキックを蹴るためだけに12人目の選手が出てきて良い。

蹴り終えた選手は全速力でピッチを去ります。

・監督、コーチは観客席から観戦し、指示を出してはいけない。

全部選手任せのゲームです。

・ボールが二つ

調べてみたら実際にありました。


タイトルは「ステレオ全開」です。


いつのころからか「水を買う」という選択肢を取るようになりました。その創世記に生きていた人はこんな行動に出ていたことをふと思い出すのです。

・エビアンを首から下げている。

何のことだかよく分からないと思いますが、その当時はエビアンを首から下げるということが今思うとファッションであり一種ののステータスであったように思います。

・喉が乾いたら、エビアンを飲む

結構見かけました、街中で。いまその人たちはどうしているでしょうか。


エビアンに代わって首からぶら下げているものについて考えてみると、その意味合いがだいぶ変化しているように思います

・IDカードを首からぶら下げる

・携帯電話を首からぶら下げる(スマートフォンはあまり見ない)

こう考えると、大事なもの、なくしてはいけないものという箇所が前面に押し出されていて、ファッション的な要素はほとんどないといってもいいかと思います。

「なくしたんですよ、エビアン。首からぶら下げていたんですけど。渋谷の交差点で」

残念ながら、取り合ってくれる人はなかなか見つからないんじゃないかと思います。


首からエビアンは復権できないな。


誰かへのお土産を選ぶときに非常に悩むことがあると思います。

「もらった人は喜んでくれるだろうか??」

もちろん、贈る相手の顔を想像して、もしくはその人の好き嫌いを思い出して懸命に悩むのですが、そう考えだすと、本当に買うべきお土産なのかどうか、何時間たっても決めかねるものです。お土産を考えるだけで、本来の観光の時間を失ってしまっては元も子もありません。ですから、もっと気軽に、いい意味で適当になるのがいいようです。

「消えものにしとくか」

それが一番手っ取り早いです。食べてあっという間。後腐れありません。


では、自分へのお土産はどう選んだらいいのでしょうか。思い返せば行った思い出は、たいてい携帯電話かデジタルカメラの中に納まってしまっています。ですので改めて「買う」という行為は別にする必要がないとも思いますが、とは言え提灯だのキーホルダーなど買ったところで、後々埃を被るのは目に見えています。

「温泉のタオル」

これ以上合理的な自分へのお土産を見たことがありません。温泉地に行く。タオルを買う。温泉に入る。荷物にならない。家でも使える。ぼろぼろになっても捨てるだけ。結構な数集まると、人はこう思うはずです。

「意外と温泉行ってるな」


週末は是非。

数年くらい前に、半分くらいうとうとしながら、テレビから聞こえてきたアメリカンジョークに、思わず反応してしまったことがあります。

「その時オバマは4人の候補者の中の5番目を走っていたのさ」

ここだけ切り出しても何を言っているのかさっぱりわからないと思いますが、とにかくオバマは4人の候補者の中の5番目を走っていたのです。別にホラーではないので怖がらないでください。つまり大統領選挙をしているとき、オバマはどの候補者にも届かないほど、後れを取っていたということです。解説をしてしまうと、他人のジョークながら恥ずかしいものです。


アメリカンジョークのポイントは[1、比喩をつかうこと][2、語尾を「~なのさ」「~ってね」][3、なんとなく他人事]の3点だと勝手に解釈してみます。それでは早速試してみましょ。

「渡辺は抱えきれないほどの熊手を買ったのさ」

完全にアメリカ人が肩をすくめて、両手を返すポーズが目に浮かんだと思います。それでは別の文章で確認してみましょう。

「その時銭形は言うのさ「奪われたのはキミの心なんだよ」ってね」


軽薄さは否めません。

ツーカーという関係はその言葉からわかるとおり、ほぼ全ての過程を省略してダイレクトなコミュニケーションが取れることを意味しています。
「いつもの」
誰もが言ってみたいセリフだと思うのです。ここにはもちろんツーカーの関係があって、こう言えばいつものあれが出てくるという仕組みです。しかしツーカーはさらに進みます。進みすぎてはたから見ると何故そうなってしまうのか、わからないのです。
・席に着いたら、いつものあれが出てくる。
ここまで到達すると、そこに他からの力は全く以て意味をなさないのです。

とあるお店に入って座っていたところ、入ってきたお客がいきなりこう言ったのです。
「インド!」
いきなり言うにしても、あまりにも乱暴な言葉じゃないですか、インド。しかもその言葉には非常に力が込められていて、インド以外の何物も許さないという意思を感じてしまったのです。そしてふと、自分がいる場所を思い出すのです。
・カレー屋
カレー屋じゃ仕方がない。誰だってそのカレー屋ではいつか「インド!」と叫ぶべく、足しげく通っているのです。

私はビーフカレーにしたんですけど。

一言伝えれば、いろいろうまくいくことも多いはずなのですが、なかなかその一言が言えずに残念な思いをしている人が結構いるのではないかと思ってしまうのです。

「帰ってもいいですか?」

帰っていいんだよ、今日のやるべきことが終わった堂々と帰っていいのです。誰かのこと気遣ってその一言が言えないことで、時間もお金も無駄になってしまうし、ストレスもたまる一方です。

「帰りまーす。」

特に問題もないのにその許可を出せない上司は、ただの無能な人です。


たまに旅行に行くのです。景観のいいところでよく見かけるのですが、この一言が言えないばっかりに、頑張る人たちがいるのです。

「写真撮ってもらっていいですか?」

撮ります。撮りますよ。天気のいい日にこんな眺めのいいところじゃないですか。せっかくご夫婦で、カップルで来られているのですから、いい写真になるように撮りますよ。ところが結構多くの人がお願いすることを躊躇して、自分撮りを頑張っています。本当にイメージ通りの写真が撮れているのか気になるのです。

「写真撮ってもらっていいですか?」

今度是非言ってみてください。


私はもちろんOKしますよ。

「カロリー」という言葉を目にしない日が無いので、そんなに意識していないつもりでもついつい見てしまうものなのです。

・219キロカロリー

それを摂ってしまうことがどれくらいインパクトのあることかよくわかっていないので、躊躇せずに買いそして食べてしまうのです。一方でそれを書くことによって実は大きくチャンスロスをしているのではないかとも考えてしまうのです。

・375キロカロリー

いや、まだまだ行けるでしょう。


ある時期まで気にはしていなかったのですが、知り合いから言われて手が出づらくなったものがあります。

「菓子パンはカロリーが高い」

たいていの菓子パンは美味しそうな表情をしていて、購買意欲をそそるのですが、残念なことにパッケージの裏にこう書いてあるのです。

・557キロカロリー

さすがにそれは摂りすぎになるんじゃないかと思いつつも、しかし、この菓子パンが食べたいのですが、それはすでにご飯3杯分とか、消費できなくなるとか考えると、なんだかよく分からなくなってしまうのです。


結局食べました。

肯定するという作業は、否定をするそれに比べると何かにつけて大変です。それが自分に都合の悪いこととなると、たいていの人は否定から入るものです。

「ちょっと、それは認められないよ」

いや残念なことに、事実は間違いなく自分に都合の悪いことを示しているのですが、それを認めてしまうととてつもない敗北感におそわれるのです。

「だから違うんだって!」

日々こうした会話がどこかで行われています。


そしてこの季節になると、決まってこういう人が出てくるのです。

「花粉症のわけないじゃん」

しかし残念なことに、目は痒そうで、鼻はいつもかんでいるし、更には仕事中ぼーっとしている光景をよく見てしまっているので、その人に耳鼻科に行ってくることを勧めるのです。

「だから花粉症じゃないんだよ!」

気が付くと私の周りには、こういう人が多くいるのです。


負けたくないんだろうな。。。

それを便利と称するかについては甚だ疑問なのですが、特に家電の世界においてはあまりに使われない機能が多くて正直辟易してしまうものが多い気がします。

・冷蔵庫にインターネット

それをどう使うかについて全く想像力が働かないのですが、ついてしまっているのです、冷蔵庫に、インターネット。

「主任、やっぱりこれからはインターネットっすよ」

「そうか、インターネットか。うちの部門としても、取り入れないといけないな、インターネット」

こうしてたいていの家電はワールドワイドになっていくわけです。


プリンターを買おうと思って、家電量販店に行ったのですが、とにかく私には必要のない機能満載のプリンターが多いわけです。

・スキャナーでフルカラーでWiFiでSDスロットでその場で編集でかなりデカくて6千円。

私のニーズを考えたときに、はやり多すぎる機能であることは間違いありません。もうちょっと探してみて、ようやく合致するプリンターを見つけました。

・白黒で小さくて6万円

釈然としませんでした。


機能満載版を残念な思いで買います。